JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

邂逅の連続

 ラウンジサウンズが終わった。4〜5月と実に5本ライブをやった。4月の28〜29日深夜のイベントにいたっては演者が一人欠席してDJタイムが長引いたので「もっかい30分やりません?」「やったろー!!」で都合一日3本ライブしたような事になった。死ぬかと思った。

 もちろんどのライブもスゲー楽しかったのだが実は水面下で不快な出来事が起きていた。あるライブが終わった後からツイッターで変な絡み方をするアカウントが現れたのだ。まあ実のところそのちょっと前にも、アカウント開設時が数ヶ月前なのに十年前くらいの自分のしでかしを言いふらしているアカウントがあって、こりゃなんか腹芸やってるやつがいるな、と実は今年はじめからゴルゴ13モードに入っていた。実は今もそうなのである。活動の営業用に上げている動画に不快な粘着コメントも付けられた。営業上よろしくないという大人の理由で無言で通報および削除。芸事で営利業務的な対応をするのは非常に心苦しい。なによりこのコメントの表示で第三者に大変目を汚してしまった。この視点のない批判を俺は批判とは一切受け止めない。

 しかし「ゴルゴ13モード」という単語も懐かしい。Web1.0時代の「掲示板におけるマナー」からの流用なのである。詳しくは検索でも何でもしてくれ。

 とにもかくにも、こないだのラウンジサウンズが楽しかったのは間違いがなく。以前互いが互いにいい印象を持っていなかったワルソウパクトのはまじんさんが客としてきてくれたりしてくれた。実は同じ小学校区育ちと知ってて、「同じムラの住人どうしでよくこの歳までこんな音楽をつづけた!」で共感できるし、去年の年末だったかライブ観た時は「全くブレねえ!最早スゲエ!!」と感心したものだった。今度ワルソウさんが体調戻ったら是非観に行こう。小林ボードウォークくんとか薄力小麦粉夫妻とかスゲー嬉しかったな。最後のはまじんさんの笑顔が嬉しかった。音源も5枚ほど売れたし。

 ラウンジサウンズはリハ後に前打ち上げがある。山口の防府あたりのバンドマンとほぼ同時発生で生まれた風習だがここで何故か、別の日のライブの打ち上げと称してアダチヒデヤさんが登場。やや、タコ天の裏番組のパーソナリティだぞ(笑)!!「ジンロウさんも後から来るよ?」

 ジンロウさんである。コーガンズの人である。人間椅子のライブツアーの福岡に行くと物販をやってる(!)あのジンロウさんである。
 最初の出会いはボギーくんが毎年やってる年末の「ラウンジサウンズカーニバル」での対バン。
 次の出会いが、互いの妻がガンと診断された仲間、というもので。
 その闘病日記は長く辛い。カミさんの急変はあれよあれよであったが、こちらはずいぶんと時間がかかったようだ。が、この生死の境の修羅場、ほぼ同時期に来てしまった。
 だからお互いに葬儀には行けていない。第一うちのカミさんの葬儀もどたばたとした。本当に「急変」という言葉がふさわしい現場であった。あいにく色々問い合わせをしておきたい役所が休みの土曜に死んだのは大変痛かった。後になって役所から訊いたら案外葬儀先延ばしのための費用は補助が出るという事を伝えられた。まあ、そういうものがないという前提で人間生きてる、仕方がない。終わってみれば「終活」らしい事をしていないことに気付く。カミさん、スマホにも何にも遺書めいたものは何も残さなかった。亡くなる前日のゲームのプレイデータが残っていたくらいだ。その姿におれも願掛けのような気持ちで何も出来なかった。医者からの非情な病状の告知で、そんな話はわかっていたのに。

 互いに「ようやく逢えた」という顔で挨拶、互いの不義理を詫びて、「その後」の大変さについて語り合った。
 そう、「その後」の話ばかりをしていた気がする。家事が大変だとか。カミさんがいかに偉大だったか。
 で、興味深そうなアダチさんの話題に入ろうとすると
 「君はジンロウくんと奥さんの話しなきゃダメだよ!!」
 と笑って追い返されて、またふたりで。

 そして自分のライブがあるのでと、ジンロウさんと再会を期して握手を交わし中座。
 自分が音楽は惰性で続けていると強がっている事があるけれど、自分は壊滅的に社会性がない。
 音楽事のようなときだけ、かろうじて社会性が人並みになる。そうでなければ、20代中盤でバイトすら首になったときのような、ただの引きこもりに過ぎなかったのではと思う。
 ジンロウさん、アダチさんと社会人としても音楽人としても立派な人々と炭火焼で焼かれるあげまき貝を見ながら
 「俺が音楽を続けてる理由はこれなのかな」
 ふとそう思った。

 その日の晩、嫁が久し振りに夢に出てきた。がんも関係ないような最盛期の、普段着の彼女の姿だった。馬鹿話をしてにっこり笑っていた。冒頭に書いた不愉快な話が生んだ感情は、どっかに消えて行ってしまった。