JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

あの娘ぼくがタコ天で1位取ったらどんな顔するだろう

 「ラウンジサウンズ〜岡村靖幸ナイト!〜」に出演オファー戴いて出た。流石に本家岡村ちゃんファン層の方からはハテナの音楽だったみたいだったが、単純にボギ君自身が遊びたい臭を嗅ぎ付けてきたお客さんの何名かから絶賛をされてちょっと小躍りをした。
 「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」

 をやった。

 楽屋で一銭めしやの村里さんと昔話をしていたら、不意にKBCラジオのパオーンの話に。まあそのあとの展開は言わずもがななんだけど、不意に思い出したことがある。
 カミさんと付き合いだしたのはその時期だったのだけど、その当時自分は物凄い没連で。もう、どうしょうもないくらい。目も当てられないくらい。だから彼女は「3年前年間ベストテン7位に入ったよー、太宰府の特設ステージで歌ったよー」「ふーん(※さてはこの人嘘じゃね?)」な感じだったし、手をつなぐことなくお友達的なおしゃべりばかりを繰り返していた。ふと気づいたのだった。
 「あの娘ぼくがタコ天で本当に1位取ったらどんな顔するだろう?」
 って気持ちで作ったものが本当に1位を取ってしまったのである。
 彼女は「本当にラジオでやるときはやる人やったんや!!」みたいなことを言った後、「彼氏が出てるなんて恥ずかしい」を理由に二度と例の番組を聴かなくなりました。そして本当に恋仲になっていくのはそれから先。
 青春って123、じゃーんぷ。

 思えば彼女は俺が出るライブは絶対に見に来てくれなかった。一生「恥ずかしい」と言っていた。呼応するように自分が作る歌は「振り向いてよ、ねえ」だったり「これ以上成長の望めない君に」だったりと呼びかけソングが多くなってしまっている。

 ライブ中歌詞に泣いてしまった。
 「寂しくて悲しくてつらいことばかりならば
  あきらめてかまわない
  大事なことはそんなんじゃない」
 こんな歌詞を嫁の命日の二日後、一周忌直後の自分が歌うにはやっぱぐっと来たんです。だって、ここまで書き連ねた青春時代の話って、25年くらい前の話よ?事情を知ってるお客さんもぐっと来たらしい。そうだよ、歌詞を勝手に自分の境遇に重ねるなんて野暮ったいとは思うけれどさ、それなりの歳だし、何よりあんなカミさんと好き勝手生きて最期まで看取れたのは一大ロマンスだったしなあ。

 ところで俺が放った革命チックなダンキンシュート、と呼べるものは8週くらい残ったかな。「栗之介侍」というしょうもないラジオドラマであった。そういえば思い出すがカミさんはこのネタだけは面白ネタとして言及してたなあ。静電気で感電するたびに「栗ちゃーん、大丈夫?」と言ってたっけ。なお当人安田栗之介氏の耳に当時入ってたらしくご立腹だったそうで、あの際は誠に申し訳ございませんでした。若気の至りです。きっとおれはあの時、あの娘だけの汗まみれのスターになりたかったのでした。