JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

自分が見せ付けられたもの

 今年に入ってカミさんはずっと「持っていなかった」と思う。
 だからこの結末も予見は出来ていた。出来ていたからなんだ、だけれど。
 その持っていなかったって根拠はたくさんある。その大半が個人的な霊感的なものに過ぎなくて、口では上手く言い表せないのが残念だけど。

 その5年8ヶ月前のカミさんは「持っていた」のだ。根拠はわからない。ただ本当に治るような気がしていた。無知であっけらかんと「ただ治る」を信じてそれに従って行動しただけ。
 あんな非常事態というときに人は何を行動するかでその人の人となりというか、魂のスケールというか、そういうものが決まるのかなあと思った。

 そういえばその5年前のおれの地獄のような日々といえば、あの時は何を血迷ったかなぜか図書館からニーチェ哲学書を借りて読んでいた。存外効果があったようで、「超人となるにはどうすればよいか」「没落とは何か」とか非常事態の非日常を投影してアホのように過ごしていた。途中で読むのを投げた。「自分の考えが世に受け入れられなくて必死にこれを綴ったのか」と思うとばかばかしくなってしまった。
 自分はそういえばあの時、カミさん死ぬかもしれない状況でもライブオファーは止めず受けてたんだよな。しかもあの時バンドは絶好調だった。受け入れられていたのだった。ニーチェ様には失礼であったが私大変没落していた。

 今年は逆だった。自分は6月くらいから、いくつか大きなライブオファーを断ることになった。
 聡明だった彼女も今年の半ばから、あれだけ周囲から絶賛されていたチョコレート作りをやめて。スマホでニコ動ばかりを見るようになってしまった。あまりいいものを見て笑っているとは思えない、ちょっと薄気味悪い笑いが彼女の部屋からこだました。
 思えばそのちょっと前からカミさんの家事が、出来なくなった。失敗したハンバーグの塊。レトルトもの。適当なそうめん。そしてとうとう本当に家事ができなくなったとき。
 やはり自分を慮っていろんな痛みを隠していた。
 それどころか好転しないことに憤って自分で自分の痛みを我慢していた。わからんでもない気分になった。
 「ごめんね、私もっと長くいつまでも家族でいたいのに」
 とぽろぽろ涙を流し始めた。泣く理由なんてわかっている、無言で後ろから抱きしめることしか出来なかった。
 不思議なもので自分に泣こうという感情は湧かなかった。どこまでも冷静で宇宙のなかに孤立したような気分であった。

 その後今までの馴れ初めからここに至った経緯までいろんな話をした。何せ23年前の一目惚れである。そして二人で社会不適合者として新卒を早期退職した同士。引きこもりを繰り返した同士。のた打ち回って何とか俺が派遣社員で一山当てて溜まった小金で一気に結婚まで持って行った。44年生きていて半分以上がカミさんとの交際期間なのである。
 自分で言うのもなんだがこんな大恋愛はめったにねえぞと思っていた。だからこその境地なのだろうか、何か人類の立ったところのないところにいることだけは感じた。本当にアポロの月面の絵が脳内に浮かんでいたのだ。ただごとではない光景に出くわしたとき、人は言葉も感情も失う。体感してしまった。

 泣くのをやめたカミさんは「最後の手段」と渡されてた鎮痛剤を袋から取り出した。
 あるじゃん!最初から飲めよ!!それともアレか?自分との戦いか?我慢して死んだら無駄だよ!!お前本当に生き方パンクだな!!と心の中ででっかい声で突っ込みを入れてから、それを呑んだ後横になったカミさんに、冷静に。
 「長くても短くても最後まで家族なら俺はそれでいいよ、悪いなんて思うな」
 そっからまたカミさんが泣いたような記憶もあるが、いつの間にか二人で笑点大喜利の動画見て爆笑してた。

 最期まで家族ではあったが、今となってはただただむなしい。今年の彼女の行動の一つ一つに「持ってなさ」がにじみ出たのだった。