JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

あの世はあの世で忙しいんだろう

 四十九日法要の晩、女神みたいな格好で出て以来カミさんが夢に出なくなった。

 …これに関して色々考えるところはある。何せ現世の法事でクソ忙しかった。
 向こうでもこれ、忙しいんじゃなかろうか。色々手続きやらで。
 「はい、法要やっていただきましたね。じゃすいませんこちらのほうに手続きを」
 役所で死んだ人々の霊が向こうで役所をしているのかもしれない。引越しをすると大変だもんね。そんな感じで。

 さて、先に向こうに行ったうちの親父もカミさんの親父も手を焼いているだろう。カミさん、心底死にたくなかったから向こうで心の整理が付いてないと思う。だから向こうでは誰とも話すことなくいると思う。でもまあもう二度とガンのことを気にせずいられるのだなあと。
 自覚症状のあった首の下のリンパの腫瘍を生前、カミさんはずーっと気にしていた。無意識でいつも触っていて、その様子は痛々しかった。

 まあそんなファンタジーな空想はさておき、カミさんの意識という電子集合体は記憶装置を失っただけで、きっと亡くなった病院や葬儀屋や、なにより最期を看取って5分くらい泣き続けた自分のうちに取り付いてかけらを残しているんじゃないかと思っている。
 心身ともに不調が続いていたのだけど、ようやく街に出歩けるようになって来た。じゃあ先月のライブは何だって話だが、あれかなり無茶した。先日ラウンジサウンズに出かけたのだが、天神ラウンドワンに行ってカミさんがずっとやっていた初音ミクのゲームのところに足を運んだ。プレイするわけでもなく。そのあと不思議に胸がかっと熱くなった。カミさんはきっと自分の中で生きてるんだろうな。

 新しくなった天神を歩くのはツライ。足に転移したガンを庇うように歩くカミさんを引っ張りまわし、カミさんが行きたいところに歩いて向かった。なかなか帰りたがらなかったラウンドワンの思い出。
 PALCOの新館の思い出は本当にその最晩年のものしかない。歩くのは、とてもツライ。自分は寒い星に取り残されてしまったのだな、と思うこともあったが、ライブ見に行くとカミさんともゆかりのあった人たちに会うことが出来た。

 もうすっかりテレビ見てる人にも有名になってしまって驚きのボギー君だが
 「ジマオさん、年末の弾き語り忘年会出てください」
 えーっ!
 「ふらっと来たときに伝えようと思ってたんですよ」
 年末の予定が一つ増えた。

 お客さんの中には自分が小劇団にいた頃の15年ぶりくらいの再会になる方も、びっくり。劇団マニアック先生シアターのミチロさん。確か劇団立ち上げの頃だった。自宅に招いていただいてマージャンしたのが最後だったのでは?

 おれと同じく嫁をがんで亡くしたオクムラユウスケさんもいた。生前はその息子アビ君が0歳児だった頃、がんの食事療法や闘病中の心持ちなどを話し合った仲だった。奥さんはカミさんを「見ると力がもらえる人」と呼んでいた。
 アビ君はおれを「仮面ライダーがむちゃめちゃ詳しいオッサン」と認識しているのでライダーお絵描き大会が始まった。何も見ずにヒトデヒットラードクトルGを描いた。大人げがない。

 カミさんを亡くしてから久々に逢った漢方先生のメンバーやゴトウイズミさんなどから『このたびは…』と恭しく挨拶いただく。やはりブログ等でしたためた膨大な日記は無駄ではなかったようで、いろんな方々からあれを見ながら心配してたとのことを伝えられる。

 ライブ終わって帰りがけ、先日のライブで一緒になった薄力小麦子夫妻と電車で一緒になった。
 いつかうちに遊びに来て下さいね、と約束。
 「あなたはまだ、一人じゃないのよ」とばかりにカミさんが導いてくれたような夜だった。そうか、カミさんはユウスケさんの奥さんとは逢っただろうか?あの日はふたりで一緒に導いてくれたのかな。