JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

もうすぐ誕生日

 あと一週間で45になる。もちろんこの歳になると厭だといってもやってくる誕生日にいちいち欝になっていたら体が持たないのでほどほどの欝になっておく。まあかといってもし人生成功を収めていたら、友人その他を豪快に招き爽やかな野外で派手なバースデーパーテーをやり憎々しげな笑顔を決める様になっていたかもしれない。俺の器なぞそんなものである。

 が、今年はカミさんが亡くなって初めての誕生日、どころではなく。彼氏彼女時代含め23年カミさんと一緒であったので最低限の「祝ってくれる人」が心のうちにしかいないことになってしまう。
 この嫁、よく夢に出てきては穏やかな表情で日常会話を繰り返す。話す内容は毎回忘れる。いつも白い天使のような服を着て現れる。念のため各種サイトなぞで調べるが警告夢でも、おそらく成仏しそこなったわけでもないようだ。まあ、恋愛ごとの楽しさと大変さは物理的にも精神的にももうたっぷり味わったので、しばらくは独身がどうだとかそんなことを考えるのはいいだろう。
 問題は23年ぶりに誕生日のお祝い事がないという現実である。いやー、結婚時は楽しかった。二人のつつましい誕生日の祝い事っぷりはこれに詳しいからわかるだろう。

 まあ外に出ることもなくひそやかにやるか。どうするかは決めていない。週末に通い始めたスクールのほうでちょっとあるかもしれない。色々自分のこれからの切り売りの仕方を学んでいる。

 45になって最初のライブがボギ君主催のラウンジサウンズで決まった。5/16、一週間違いである。有難いことにトリをとったので残業で忙しくても観に来て欲しい。不思議なもので音楽はずっと続けて今も枯渇してない鉱脈。実は去年カミさんの終末治療中はガラッと作曲環境を変えて少しアマチュア発想の技術をばっさり切った。今更人に訊けない技術とか用語を真面目に勉強した。これは真面目な独白だが、子供じみてるなあと思うが自分が一度喧嘩別れした人間たちのテリトリーには一生手を付けてやらない、と思っていた部分。そういう意固地が生む無知は死ぬほど恥ずかしいことを表稼業の派遣の某現場で覚えていたので、まあその職場のジジイを反面教師にすることにした。
 そもそもカミさんが余命宣告を受けた、2015年の年末の時点で音楽はやめるつもりでいた。がある大先輩の
 「40からの人生は積み下ろしだよ、そこまで得たものを切り売っていくしかない」
 某アニメ監督の
 「45が人間変わる最後のチャンス。それ以上は人格が固定化する」
 の二つの言葉でちと思いとどまった。44〜45で新技術をちゃんと導入し続けようと貪欲になれたのは今後いい影響になるかもしれない。
 2016年は結局2枚デモ音源を作った。好評でライブやるたびにコンスタントに2〜3枚売れてくれる。有難い。

 そんなこんなでばたばたと4月、新しい出会いがたくさん増えた。
 ちらと書いたがスクールは楽しい。
 親不孝通りのtransformというクラブ然としたライブハウスで一日2回ステージをやった次の日は死ぬかと思った。縁は昔のラジオを聴いてたリスナーさんである。驚き。

 そんな20年来のラジオの縁と言えば一番深いのがカミさんだし、今の人生の目標は「二人で同じ墓に入るのを用意する、あわよくばちょっと他も入れる規模の菩提を立てる」だったりする。色々家庭の事情があるのだ、詮索しないで欲しい。その辺は簡単なようで実は難しい、場合もあるくらいに受け止めて欲しい。自分は特殊事情でハードモードなだけ。まだまだカミさんとの付き合いは続く。結局24年目の付き合いである。祝ってくれている、ということにしよう。