JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

生き残ったふたり

 昨日は20代の頃のカミさんと自分を知っている人と飲んだ。偶々福岡に来ると言うので。自分も家にこもりきり、来客もなしの身分。自分で出かける前に鏡で顔を見たが、確かに憔悴と言うより精気を感じない顔。まあそんな状態で天神まで足を運んだ。病院の見舞いの電車、胸が痛む。
 昔話よりかは、カミさんの闘病についての話が大きくなってしまった。
 ここ半年にわたるふたりきりの闘病生活。そして資金調達、葬式、委細合切含めて現実的な話。誰にも語っていないことはたくさんあるのだなとずいぶん思った。ロマンチックな恋愛だけでこの闘病は進んできたわけでなく、実際には壮絶な現実との戦いが立ちはだかっていた。

 飲んだ相手の方は上京(?)して、シナリオライターとして名を馳せていた人。しかし近年のゲーム業界の文芸の買い叩かれぶりに嫌気が差し、現在はもっぱら家業の手伝いに従事していると。ライター業でも泥をかぶる出来事があった人で、このことはネット上に残るようなたいそう悪評になってしまった。まあ自分が壮絶なパワハラ職場で2年間カミさんの抗がん剤治療分を稼いだあと壮絶に心を病んでしまった状況と、とても被る。そもそも嫁の治療費稼ぎにやっていた仕事こそ実際自分には正直向いていない仕事だった。稼げる、というだけで。そしてその向いてなさを毎日口汚く罵られる地獄。
 世間に対してのやりきれなさと絶望を抱えたふたり、カミさんを偲んでゆっくり飲んだ。カミさんの死のほか、旧友の死、親の死、たくさん押しの話が酒の肴に並んだ。そしてふたりで
 「何でこんなに自分たちのほうが絶望してるのに、生き残ったんだ?」
 ずいぶんと長話で酔っ払った記憶あるのに、不思議なものでふたりともビール一杯しか飲んでいなかった。

 あのとき、カミさんはどう思っていただろう。自分のためにと無茶仕事を続けていたことをずいぶん心配していた。正直あの仕事をやめたとき、ほっとしていた。毎晩壮絶ないびきをかいては、途中で息が止まったりしていたらしい。明らかなSASの症状だった。
 その心と身体のダメージは今でも抜け切っていない。睡眠はずっと導入剤任せ。そして今回のこのカミさんの長い闘病と逝去である。先日自分に逢ったボギーさんも言っていたが、
 「憔悴しきっている」
 としか言いようのないビジュアルらしい。そんでもってこの毎日食欲も実際そんなにない。カミさんとふたりで食べていた頃の2/3くらいしか、米が入らない。

 「まあゆっくりお土産でも食べてくださいな、健康にいいですよ」
 優しい言葉を戴き電車に乗った。

 帰りの電車で少しだけ、その20代の頃の恋人同士だったころの思い出に浸った。突然「エヴァ」にハマって、ビデオを1話づつ見せられた記憶。当時、18話までしかソフト化されなくて、なかなか続きが見られなかった懐かしい思い出。劇場版を見て口をあんぐりさせた記憶。カミさん、結局「シン・エヴァ」は観られなかったのだなあ…。

 あ、地獄の職場に関しては最後、その上司にバンドマンモードにスイッチを切り替え、「黙れ、馬鹿!!」と怒鳴ったら、子犬みたいな目をして黙り込んでしまった。辞めたあとで内容証明郵便で弁護士を通して「私は直属の上司ではございません」と言い訳も来た。どこまでも薄汚く情けない男と、それを庇う気持ち悪い会社であった。その後その男が原因で営業マンが不正経理をして、不祥事になっていた。

 もう、そういう薄汚いサバイブな世界とか心底どうでもいい。カミさん、思えばそんな世界も見ずにいられたんだなあ…。そしておれも、こないだのラウンジサウンズのあとボギーさんからは
 「やっぱライブやらないとジマオさん死にます!月末も出ません?」(※大意)
 ってメッセージが本当に来た。どうやら今生はそういう世界で輝けということなのかもしれない。さすがに、今月末は四十九日の手配やらで駆け回ることになりそうなので、丁重に断ったのだけれども。やっぱり今の「持ってる」ボギー君からすぐさま声がかかるということは今おれのやれることはそれだということなんだろう。役所の申告書類で「音楽活動による収入」と記述をちゃんとしてるくらい。