JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

I'm so sad

 こないだ出たラウンジサウンズには前打ち上げと言う面白い儀式がある。
 一緒に出たバンド、薄力粉麦子という夫婦ユニットと一緒に飲んだ。夫が米国人、妻が日本人。高知県から引っ越してきたばかりという。

 そういえば入院中のカミさんに英語で見舞いメールが来た。ベルギーのアレックエレジャポネーズのアレックである。彼の母国語はフランス語なので当然お互い拙い英語であったろう、こちらも返事をした。
 「あなたは私の最高の友達だよ!」
 みたいなことを書いた。もちろん「まどか☆マギカ」にかけてある。いや、そんな気持ちになったから。
 世界を旅する音楽家夫婦からの見舞いがもらえるうちのカミさんである。それはとても素敵だな、と。

 そのときのカミさんの見舞い。北斗の拳のトキのように「や、やあ…」と言った風情であった。もう何かを悟っていたのだろう。酸素マスクが痛々しかった。もちろん普通に会話、普通に手を握り普通にキスをして…ん、一つ恥ずかしいことを書いた気がするがまあこの際だから書いてしまおう。そういえばこの子とは何度キスをしただろう?仕事に出かけるときは欠かさなかったし、もう儀礼的なキスは何度もした。

 セラピスト通いが長くなってしまったが、その見舞いの日の面談で
 「実はね、私の母親もガンで亡くなったのですよ」
 そこから長い話が始まった。当時始まったばかりの化学療法。
 「これだけの小瓶に入った抗がん剤、当時2万円するやつを飲むんですよ。それで、最後は体がばらばらになるようにしてなくなったんですよ」
 そう、この心療内科の先生の母親のような礎があって抗がん剤治療は前に進んでいったのだ。5年前の奇跡のときは実際本当に驚いたしな。だが治療むなしく、彼女も体がばらばらになるように死んでいった。そういえばカミさんの放射線治療結果は、あの病院で他の患者のための説得材料に使うと訊いている。ガンという病気を人間が克服するのは、まだ少し遠いのだろう。礎が要るのだろう。

 その日、手を握ったときまだまだ強く握り返してきたから、まだまだ心の奥底でたぎっていたのだろう。本当に、強かった。カミさんの最期、手を握っても握り返しすら出来なかった。意識はあったのだけど、体を動かす力がすでになかったんだと思う。その事を思い出して、彼女の無念を思う。

 とりあえず音楽は、アレックと友達な以上続けなきゃいけない。まるでアレック夫妻みたいな人々と出会いがあったなんて、素敵な偶然過ぎるじゃない。しかもライブ終わりの帰りの電車まで一緒であった。
 そのアレックから英語のお悔やみメールが来た。さすがに返信も翻訳も気力がなく、日本語で返事をした。I'm so sadで始まるメッセージ。田舎町の田舎娘だったはずのどんちゃんは、ベルギーからお悔やみメールをもらう子になったのであった。