JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

宇宙サービス10周年(9)

 復帰ライブ後、すぐに音源を作りました。
 「かみなり奉天」というタイトルは、近所のスーパーでたまに買ってたお菓子から。
 この録音中に突如誕生したのが、今なおライブで主戦力となってるキラーチューン「男気」。いや、みんなタイトル知らないと思うんだけど「男気」。みんな「ブックオフのアレ」としか認知してないはずだよあれ。
 「お売りください」などという軟弱な文言に踊らされるくらいなら、俺は持っている本を燃やすことで男気を見せるぜ、そんな意気込みを込めてブックオフ志免店で誕生したこの曲は、誕生直後に早くも嫁にウザがられていた名曲です。
 このほか「25%削減のうた」もこの音源作成中に誕生。

 ラウンジサウンズへの帰還を果たしたのは、その音源が出来てすぐで。
 その日はお客も少なかったのに大盛り上がりをしました。そこからは破竹の快進撃。
 宇宙サービスはこのとき、組織として変革をいくつかしました。
 まず練習をきちっとやり、ある程度のきっかけあわせも小劇団の公演並みにやろうと。かつては、自分だけが歌の練習をみっちりやっていただけでした。集団としての練習は「別に音楽をやりたくて来たメンバーとはいえないし、誘って無理やりやっても悪い」と考えていたのです。
 しかし、8月の段階で手ごたえを感じた自分は考えた。もう偶発性に頼っていてはいかんと。
 成果はめきめき現れ、オファーの難易度がぐんぐんと上がっていきました。それは痛快であったし興奮に満ちていた。
 ラウンジサウンズフェスティバルと、ヨコチンロックフェスティバルへの出演が決まったときは本当に嬉しかった。

 そんな風に難易度が上がっていくにつれ、流石に自分たちも進化をしなくてはいけません。
 自分は捨てたはずの「オケのクオリティを上げる」そのための決断をします。第4のメンバー探しです。
 ・・・で、たまきおとの邂逅になるのですがこれがまた、漫画みたいに不可思議で。
 ツイッターである日、「タコ天」で検索をかけたんです。
 このワードで、大昔のラジオの「タコ天」の事(※宇宙サービス10周年(2)か(3)参照)つぶやいてる人なんてまずいないわけですよ。
 その日に限って何と二人いたんです。そのうち1人がこんな事を書いてたんですわ。

 「タコ天の国士無双ハリスは現在宇宙サービスってのをやって活動中なのか」(確かこんな感じのツイート)

 ビックリすることに、それがたまきお先生との最初の出会い。そのうち彼がトラックメイカーというのを知って、一度会えないかと打診。とんとん拍子に話はまとまって・・・。
 い、いやあ、人間どうつながるかわからんもんですね!!
 こないだ、宇宙サービス慰労会を家でやって、みんな+嫁で鍋をつついたのですが、てっちゃんが「タコ天常連集めてやった飲み会面白かったですね〜!水沢が毎回変な酒飲んで」「そうそうマイムマイム芹澤が」なんて話してたら彼が食いつく食いつく。畏れ多い、とかいいながら。
 彼はラジオ放送時、自分のファンであったと言っておりました、大変恐縮であります。
 あの時のペンネーム、考えたのは現うちの嫁です。

 復帰後のオケの音出しはMP3プレイヤーやPSPを使って、自分か風原が人知れず出していたのですが、キュー操作が必要な場面では不自由度が高かった。
 DJであればPA兼演者が舞台上にいる公算になります。これで本当に自由度が高まった。
 たまきおの加入で、宇宙サービスはオケのクオリティ、ライブパフォーマンスの自由度、音楽性が凶悪に増したと思っております。

 ザーッと流して、宇宙サービスの歴史を綴るとこんな感じでしょうか。
 そして今に至る、という感じです。

(あと2回くらい続く)