JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

宇宙サービス10周年(10)

 一気に時をさかのぼって、高校三年の大晦日
 「タコ天」では、その年の年間でめざましい記録(自分は9週ランクイン・3週1位のヒット曲を持ってた)を出した投稿常連は、正月に行われる太宰府天満宮特設テントでの公開生放送でそのヒット曲を歌う権利が与えられていました。
 このとき年間1位を取ったのが、今も友人であり今もなおDJ活動をしている男なのですが、ぼくは彼に一番最初に話しかけたのを覚えています。というか、彼に最初に話しかけたかった。
 「あのタコ天に投稿したあの曲の原曲、『ナイトストライカー』『ダライアスII』じゃない!!」

 自分は相当のゲームマニアでありました。漫画「ハイスコアガール」を地で行く世界。
 鹿児島大学を受けに入ったとき、天文館のゲーセンでパロディウスを1周したら人だかりができました。ええ、大学は落ちましたとも!!

 音楽遍歴は『ラジオ投稿番組とクレージーキャッツ』と言い張ってきましたが、実のところ80年後半のゲームミュージックが、自身のなかでは衝撃であったとも思っています。
 なかでもタイトーの『ダライアス』は衝撃でした。
 周りの友人達が「こんなもののどこがいいかわからない」という顔をするなか、1人だけ「これは凄い」と聴き狂っていた事を覚えています。
 特に今聴くとバンアレン帯のテーマ「CHAOS」は、その短いループの中にあらん限りの転調と妙な仕掛けが施されていて楽しい。
 イソギンチャクのテーマ曲は、自分が打ち込みで行き詰まると必ず聴く曲です。ミニマルテクノはかくあるべし、な曲だと思っています。
 

(6:36くらいから「イソギンチャクのテーマ」、11:25くらいから「CHAOS」)

 タイトーゲームミュージック的名作は他にも「ニンジャウォーリアーズ」が挙がります。
 タイトーはシンセの音色にこだわりがあったようで、ゲームセンターでも一発でわかる独特な響きがありました。
 サンプリング音源を使ってゲーム界初の津軽三味線ソロを実現させたのがこのゲーム。いや、サンプリング音を音楽で使うのも珍しかったのに凄いセンスの楽曲だったのですよ、実際。


(※動画は多少悪意です)

 後に嫁に電気GROOVEを教わったとき、ようやく「これがテクノというものだったのか」と腑に落ちました。気付いていなかったのです(!)。何という無学。
 その直後に当時おもちゃ屋だった実兄が、スーパーファミコンの「デザエモン」を持ってやってきました。シューティングゲームを作るソフトで、音楽も作れる優れもの・・・実は、人生で最初に打ち込みを始めたきっかけは「ゲームミュージックの再現」であったのでした。
 それは音楽作成のためのツールを変えても続いていきました。

 最終的に「ゲームミュージック的打ち込み」「わけありベストテン」が時間をかけて、ようやく混ざってこなれてきたのが今の宇宙サービス。

 次回は最後に、なぜライブハウスでやっているのか、そして嫁との話。
 やっとここまで来た・・・。