JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

宇宙サービス10周年(11)

 宇宙サービスはずーっとライブハウスを主戦場にしていまして、例外的にアニソンイベントで2回ほどやった以外は、クラブ的な箱では一切やっていません。
 やっぱり、ナゴムの「人生」(電気グルーヴの前身バンド)に憧れたところもあったのかなあと。
 クラブのオファー、単純に伝手がないという話とか。前身バンド末期に、とあるクラブ畑の人間に裏切りの不義理をかまされた話とか。まあ、色々あってライブハウスに落ち着いたのです。
 そんなこんなでライブハウス周りで戦い、出会い、いろんな人にいろんな事を教わった音楽遍歴でした。

 森耕さん、ボギー氏、一銭めしやの村里親子からは、家庭と仕事と表現活動の両立という、日常と非日常のバランスの己なりの取り方を、しっかりと確立することを学びました。
 漢方先生、オクムラユウスケ、インジャパン、カシミールナポレオンといった圧倒的な個性と技量を持つ人々との邂逅、そして時には対峙。
 聡文三さん、ポカムスの藤田進也、外山恒一オクムラユウスケ。宇宙サービスで自分が表現したい何かに多大に影響を与えたといって過言じゃないです。

 なにより自身、ロックバンドに憧れています。
 宇宙サービスの前身「シンセパワー」は、ギターウルフに負けないよう「シンセ」+横文字で名づけた名前でした。ガレージパンクのライブが大好きだったのです。
 ボットンズ、ポカムス、一銭めしやなど。ブッキングによってロックバンドと同じ空気を共にできる時は、毎回それを光栄に思っています。
 こないだ宇宙の練習でたまきおがベースを借りて、風原ドラムで3ピースで町田町蔵みたいな即興歌を演ってみたところ、意外にまとまる事が判明(!!)。いつしか、その形態で一曲くらい披露する事があるかもしれません。

 最近は遠出も増えました。特に岩国のTAKEVEZ、めがほんず、戸川ちゃんとの邂逅は、出会うべくして出会った感でいっぱい。
 きっとこれからも付き合いは続いていくと確信しています。

 いくつかあった素敵な出来事を思い出して、締めに掛かろうと思います。

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 宇宙サービス1期で忘れられないのは、保波意キヨシ。
 劇団時代に見た、いろんな劇団のボランティアを駆って出にくるオッサンとして有名だった人。自分は何故か縁がやたらとあった人だった。
 歳は50に差し掛かるくらいだったか。
 何故か突然歌手を志し、CDを作り。ラウンジサウンズの対バンとして再会、その日ミラクルを起こしたのでした。家の鍵を鳴らしながらの熱唱とか、顎が外れるほど笑った。
 ボギーは早速大喜び、2ヵ月後のヨコチンロックフェスのオファーをその場で出した。あの時、俺たちはまだまだ出られなかったチンロックに。
 その日共演した別のバンドの掲示板に何故か近況報告を連載しだして、困らせてたのもいい思い出。

 その日とチンロックの間のほんのわずかの間のある日、キヨシさんは心筋梗塞か何かで自宅で倒れ、この世を去った。
 自分が住んでるアパート、キヨシさんが亡くなった場所の本当に目と鼻の先という事を後に知った。
 宇宙サービスでチンロックに出演した日、自分は駅に向かう道沿いにある、その場所の前で合掌をした。割と大きなイベントのときは、なるだけ合掌をして向かうことにしています。

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 宇宙サービスを語るときに外せないのが、嫁がガンで倒れた日の「ラウンジサウンズ対マン!」。

 この日は持ち時間1時間づつの3マンライブな上、ちゃんと事務所が運営している芸能人ユニットとのライブイベントなので、穴を開けることは許されない日です。
 その三日前に嫁が突然変調をきたし、救急車で運ばれました。
 病状は最悪で、ネットでどう調べても
 「お気の毒ですが発見が難しい上、その状態になったら末期的です」
 という文章が並び。義母と二人で「今年いっぱいしか・・・」なんて会話を繰り広げていたのでした。

 そんな状況の中で自分は愚直にもライブを果たしました。
 そんなことしてる場合じゃなかったと思います。呆れられたと思います。
 狂気の沙汰だったと笑われてもいいのです。あの日、自分は確かに何かを呼んだ気がします。
 


 ライブの辺り、嫁は手術のための準備と称して体中の水分を搾り取っており、更に病状で動くのもままならず苦しんでいたそうです。
 しかし「客が待ってるんだから行って来い」と送り出した嫁。
 自分には、あれしか出来なかったのです。重ね重ね愚直だなあおれ。
 ライブ終わって次の日には手術が待っていました。

 その後、嫁は手術と抗がん剤治療の後奇跡的な回復。
 そのプロセスは、にわかに信じがたい現実として認識しています。
 ボギーはあの日の宇宙サービスをこう評しました。

 「今まで見た宇宙サービスのなかで一番よかった。鬼気迫るものがあった。フロアは最初から盛り上がりっぱなし」



 あの日自分は舞台の上で、いつぞや東京で得た絶頂感や多幸感と同じものを感じていたのです。あの時は燃え尽きたのに、今はなぜ続いているんだろうなあ。未だに燃え尽きることはなく。さて、どこまで辿りつくでしょう?どんな地平まで行けるのでしょう。・・・暫くは、お付き合い願えたら幸いです。