JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

宇宙サービス10周年(8)

 結婚してすぐ、何故か一本だけオファーがありました。
 このオファーから1年強ライブはなかったのですが、このライブは自分にとって「2期の始まり」で。
 JON(犬)さん、アダチ宣伝社さんなんて素敵な対バンで、かつ四つ打ちでフロアを盛り上げるみたいな感じじゃない、のんびりやれるなあってラインナップじゃないか。そこで大耳でやってる即興ボイスやPCを使った即興演奏のエッセンスを試しに導入したのでした。
 ひそやかに手ごたえを感じていました。

 そこから1年オファーなし。
 もう、心の中では事実上休止したものと思っておりました。いや、ともすれば自然消滅の気分だったかもしれない。
 ですが、この1年の間、自分は何故か大耳のセッションの場に毎度出かけておりました。
 「宇宙に何が足りなかったか」を考えて、「自分に何が足りないか」を埋めに行く修行場を求めに行った、その一念でした。
 PCにゲームパッドをつないで、音を出す仕組みを構築したのはちょっとした発明でした。
 あれを大耳で思いついて実験してたとき、確かとんちピクルスさんが来てて驚嘆してた。

 この「PCにつないだゲームパッドでノイズを出す」という立ち姿を手に入れたのが、2期宇宙サービスの強さだと思っています。やっぱ、楽器然としたものを手にして歌ってるほうが映えるんですよ。こないだMUSKでライブを行った日、仕事の関係上手運びせざるを得ず、大雨の予報が出ててPCを持って行けなかった。久々に手ぶらで立ったステージは、やはりおっかなかったであります。

 作曲ソフトを、従来使ってるソフトを使い倒す方向にシフトしてみた。
 以前は音をよくするためにとか、なんだとか。たくさんのソフトを試していたりしたのです。
 その煩雑な作業が、作曲作業をうんざりするものと認知させているのではないかと考え。一つのソフトに一本化することにした。

 そんな自助努力のほかにも、1期で共演した様々なバンドさん達からの影響。
 聡文三さん、ポカムスは特に影響が強いと思う。

 1年経って、森さんが「宇宙サービスに」とオファーをくれたとき、自分はもうピンでやるつもりで受けることにした。
 1年の空白の時期に作った曲ばかりをオケとして流すことにして、ノイズ用のノートパソコンを置き。ゲームパッドを握り締めて新曲群をひたすら練習した。今までなかった、メッセージ性の強い歌詞が並んでいた。
 会場には、呼んでもいないのに風原とてっちゃんがやってきた。
 「いやあ、ライブあるんだったら・・・メンバーだろ?」
 どこぞの少年漫画かお前らは。スゲエ感動した。

 ライブは凄いいい出来だった。