JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

宇宙サービス10周年(7)

 宇宙サービスというバンドは、自分の中では1期と2期があります。
 その1期の絶頂は意外に早く訪れました。それがこのラウンジサウンズ初舞台から半年の間。
 2005年11月のラウンジサウンズの後、翌年2月に再びラウンジサウンズ。5月には東京でライブして、ラウンジサウンズと自主イベント「堕天使ポエティーク(宇宙サービスプロデュース版)」を主催。

 東京のライブは、先に書いた運営中のホームページのオフ会として企画されました。
 http://www6.atpage.jp/jimadon/cgi-bin/ansq/ansq.cgi
 (このページは自分は運営するのが難しくなっており、今も有志による仮運営中がなされています。どうにかしたいと思うんだけれど、心がついていかない状況。)
 ホームページの運営に関してだけれど、こういうコミュニティの運営に関してはどうやら才覚があったのかもしれません。商才やら金儲けの才能は一切ないのですが、箱庭的世界を安定に導く術、確かに自分に何かしらのものがあったのでしょう。
 この大喜利風サイトを母体にしてネットラジオなんぞを続けておりました。
 どのサイトをやってても、爆発的に客が増えることはなかったけれど、それでもいつも人がいたっけなあ。

 東京のライブは持ち曲のほとんどを費やしました。
 みんないい顔してたっけなあ。文字通り日本中から客が来ていたし。
 あまりにオフ会が楽しすぎて、「俺、今この場で死んだら本望かもしれない」と感じてしまった。
 思えば、あの体験は充足感が大きすぎたのだと思う。
 あれからしばらく、老人のようになっていたような記憶があります。

 帰福してすぐのラウンジサウンズで、じん帯損傷の大怪我をしました。
 足の怪我の暗示は「今進んでいる道は過ち」だと、芝居の師匠のような知人から聞いた事があります。全くその通りになって行きました。

 思えばこの5月までに、やりたいことはほとんど出尽くしたんですね。
 そこから先の出演で、印象に残ったライブは特になく。
 強いて挙げれば、風原が急に出られなくなっててっちゃんを擁立したライブがスゲエ面白かったことくらいでしょうか。
 ホームページのほうも散漫になって行きました。

 この頃、兼ねてからイベントを一緒にやったりと交わる事が多かった大耳には、懐疑的な立場を取っていました。アングラ表現に暴力性が混じるようになってきて、ちょっとついていけないなあと思ってた時代。とりあえずタブー侵してぶち壊せばいいや、なんて雰囲気が垣間見えちゃって。
 ちょっとラウンジサウンズなんかに出られてる自分たちは、だなんて。妙に勘違いして尖っちゃったりもしました。
 あるライブで、対バンのアングラ芸術なんてクソッタレと劣化フリップ芸もどきを演ったところ、会場は妙に受けた上サブカル界の超大物氏に「殺意を抱いたわ!」と酷評。

 よれていく足取り、それもそのはず心は上の空。
 この時期、表稼業は妙に順調で、小金がたまっていました。
 仕事帰りにひたすら嫁とゲーム三昧。土日には遠征にまで行くほど。
 「クイズマジックアカデミーでバンドを潰しかけた」と打ち上げトークで語る事があるのですが、まんざら冗談でもない話。
 http://www.konami.jp/am/qma/qma4/webranking/ranking_gem_00_03.html
 (※ここの390位が自分です。どんだけお金つぎ込んだんだ!!)

 先日ボギーさん母から、唯一宇宙サービス1期時に出たハイコレの映像を見たのですがまあこれがひどくってねえ。レッドカーペットとかで登場する、欲しがりすぎてバタバタしすぎて何やってるかわからない若手芸人、みたいな。
 思えば努力を放棄してたなあ、と。

 1期の宇宙サービスは一度、もう思い出したくもないような舞台を経験したあと。
 自分の結婚によりしばらく休止期間を挟みます。
 しかしこれが予想外にも、音楽に対する地道な努力への回帰に結びつくことになるとはおもわなんだ。