JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

宇宙サービス10周年(5)

 昨日つらつらこれ書いてて、反響はないだろなー、なんて思っていたら。ツイッターで1人の女性から「面白いです」と感想が返ってきてちょっとだけ嬉しくなりました。そんなもので嬉しくなるお人よしな性分です。イイネボタンでも何でもよいです、反応していただければ有難い。

 さて、いったん演劇を3年やっておりました。
 音楽周りから演劇に行くと絶対に感じることとして、ステージの上の演者となるために、何かしらの裏づけになる行為を行わなきゃいけないという厳しさ。バンドマンは楽器さえ持ってれば、客席の向こう側に行けます。それは単純に、視覚的な意味合いです。上手かろうが下手であろうが、客席とステージの距離は遠くなる。
 身一つで舞台に立つことほど恐ろしいものはないです。たとえ、卓越した話芸を持っていたとしても。美声を持っていたとしても。体一つで、客席とステージの距離を遠く離さなくてはいけない。

 思えば前身バンドでは、「打ち込みで突っ立って歌ってるだけやん、音楽は自分で演奏してナンボだろうがよ」と口さがない共演者にDisられることが結構な頻度であったものでした。実は、演劇経験を欲しがってたのはそれらに対する負けん気もあったのですね。
 2〜3年間そんな場所にいたことは結構大きな経験になったようで、ごく初期の、キドイチ脱退後の宇宙サービスはピンでやっておりました。一人でもそこそこの事をしていた記憶がありますが、流石にこりゃまずい、行き詰まるわと考え。
 ほどなくして風原優人が加入。当初は「1人でやると恥ずかしいから横にいてくれ」という理由で、ただ横に座ってるだけという約束での加入でした。

(加入直後)

 宇宙サービスと平行して、誘われて大耳ネットワークと付き合い始めたのがこの頃。この集団はアングラ劇団が母体の表現集団で、月二回千代のパピヨ練習場でフリーの音楽セッションや舞踏を行っています。
 覚えているのが、芝居の役者に誘われたので、そのセッションの場に見学ついでに断りに行こうと思ったら、いつの間にかキーボード演奏して歌ってたこと。

 この集団の行ってるセッションが独特で。様々な楽器が置いてあったり演者がセッティングしてあったり。主宰が何名かを指名し、「何分まで!」と号令を下す。曲はもちろんインプロビゼーションになるのだが、やってみないとどんな曲調になるのか全くわからない。こういうセットを5〜6回繰り返す。自分はここで、セッション演奏や即興ボイスの面白さに目覚めました。
 そういや、この場所に行くまで音楽を演奏するという楽しさを知らなかったのだなあ。
 小倉の今はなき名ライブハウス・バードマンハウスに、即興演奏組として同行してミュージシャン気分を味わったのも、今となっては懐かしい思いでです。
 倉地久美夫さんはこの場所の大先輩に当たります。
 一度この場所でご一緒されたとき、生意気にもボイスで勝負を挑んだ事がありました。
 結果は当たり前ですが勝てるわけがない。


(※宇宙サービスで大耳の芝居宣伝に駆り出されたときの写真)

 大耳ネットワークでは森耕さんという男と出会いました。
 彼は音楽以外の趣味、特に「必殺シリーズ」の話で奇跡的な意気投合。
 たちまち彼のイベント「堕天使ポエティーク」に出させてもらったり。共にイベントを企画したりと、アングラでささやかながら活動を広げていきました。
 しかし宇宙サービス自体、活動は緩やかだったのを覚えています。丁度この頃、自分はHTML全盛期に作ったサイトがそこそこ当たって、その運営にも精を出していました。週一にネットラジオなんぞもやっていたのです。

 しかしそんなささやかで緩やかな活動を、どこでどう網をはって目ざとく見つけたのか。
 1人の男が自分のところに、オファーメールを送ってきたのでした・・・。

 (次はラウンジサウンズの話)