JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

宇宙サービス10周年(1)

 宇宙サービスが10年目を迎えました。
 「た」と過去形なのは、昔の日記を手繰っているとどうも5月末くらいに仮で結成してた事が判明した事が発覚。6月末だと思っていたのだけど。
 たいした事のないアマチュアの表現集団なのだけれど、そこに込めた念の重さはあまり類を見ない集団だと自負しています。10年続くってのがその証左だとも。
 ゆえに、他人からどう思われようとも、どう評価を受けようとも、単純に子供みたいに大変嬉しい。

 8月に結成最初の演奏場所・くうきプロジェクトで、また10月に10周年記念であるところでライブをする事が決まってます。このうち10月のイベントに間に合うように、ちょっとした冊子というかムックというか、そういうものを作りたいなあと思っております。・・・なもので、つらつらと自分がなぜこんなものをやるにいたったか、なぜやっているのか。宇宙サービス自体の歩みを何回かに分けて書くことにします。
 実際謎な存在だと思うわけですよ、うちら見てくれるお客さんとかにとっても。福岡、ひいてはその周辺都市のライブハウス界隈でも。
 先にも書いたけど、所詮たいした商業的成功など収めていない集団の自叙伝なんざ面白くもないかも知らんですよ。
 まあでも、書いていくうちにひょっとしたら、自分でも気付いてない「うちらの魅力」、ひいては「何やようわからんが他人にとっては人生のヒント」みたいな何かが伝わるかもしれないなあ。まあそうなる事を信じて。

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 宇宙サービスは10年前、当時自分が所属してた劇団のイベントの頭数合わせのために結成されました。・・・これは全く間違っていない。
 劇団主宰は弾き語りで出るけど、お前も昔なんかやってたよね?ああ出る出る、じゃああいつと組んでやるか、みたいな。

 結局当日はサウンドカードについてた安いソフトシンセとMODトラッカーで作ったオケにあわせて、確か自分がサンプラー、メインボーカルは最初の相方で、劇団つながりで見知っていたキドイチだった。キドイチはライブの天才で、本番の舞台に立ったその一挙手一投足がミラクルを呼ぶ天然素材であったのを覚えています。
 キドイチは平沢進の大ファンで、宇宙サービス自体のネーミングも彼によるものです。
 ライブ2回目には「面白い音ネタ」「全てオケを編集してCDをPAに渡すだけ」など、後の宇宙のスタイル全てを確立しきった、指標になるライブを敢行。ものすごく面白かったけれど、まあ当然至極お客はまばらだった事を覚えています。
 そのときのレパートリーはほとんど残っていません。

 このイベントというのがくうきプロジェクトであります。大名にある、青少年にサークル活動や表現集団の練習場を提供している施設・福岡市青年センターが、月に1回第3土曜に開いている入場無料のお祭り。このイベントは今も続いています。
 偶々このときお客で来てくれた風原くんに、トラブルで抜けてしまったキドイチの後として白羽の矢を立てたのがその半年後。それはまた後のお話。

 安いソフトシンセとMODトラッカー、の下り。実は作曲環境は全く変わっておりません。
 一時期はいい機材を買ってランクアップを図ろう、などのごく普通の野望も持っていたのです。
 ライブをやるたびに「機材で馬鹿にされてるんじゃなかろうか」「音で見くびられるんじゃなかろうか」などの劣等感が頭を巡っておりました。まあ実際馬鹿にされていたし。そしてそれは今でもどっかしらに引っかかっています。
 しかしある時期に「変えない」を選択したことで、却って音が研ぎ澄まされる出来事が発生。
 この辺は結婚による中断から大復活を遂げた辺りでおいおい。それから6年後くらいにつながるのかな。

 次は何で音楽をやっているのか、そもそもお前の音楽遍歴ってなんなんだって話を。