JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

宇宙サービス10周年(2)

 おおよその自称ミュージシャンたるもの、大概思春期時に見聞きした音楽が「目指すべき指標の音楽」になっているもので。ライブハウスの打ち上げでそういう話になって、必然的に洋楽の話題で盛り上がってしまう。自分の場合そこに
 「クレイジーキャッツ
 「わけありベストテン」
 「ゲームミュージック
 が入ります。

 まあ、クレイジーキャッツ電子音楽、みたいなところで宇宙サービスをざっくり評価しても、ん、まあチープなところで結実はしたけどね、まあ及第点じゃねってとこで説明はつくかもしれない。でも、「わけありベストテンと電子音楽」だと「なぜチープなとこで結実したかが説明付くんだなこれが。
 おそらくたくさんの人が聞きなれない単語「わけありベストテン」ってなんじゃらほいという話になるわけです。

 大昔、福岡をキー局にしたパオーンという中高生向け深夜ラジオ番組がありました。「わけありベストテン」はその1コーナー。
 レコード室にあった面白い既成曲を掘り出してはベストテンにして流す、みたいなチープなコーナーだったのですが、そこに唐津の中学生が自作のカセットテープ「タコの足」を録音して送りつけ、この曲が見事に採用。以後、リスナーからの投稿が相次ぐという自体に。
 オリジナル曲から、ミニショートコント、一言ネタ、打ち込みアレンジ、今でいう「歌ってみた」に至るまで様々なものが投稿され、また当時はネットもない時代。一部の人間に爆発的な盛り上がりを見せました。
 自分が初めて聴いたのは「北九州有名高校数え歌」や「オーマイメイコ」のあたり。

 この番組、制作者側が実に熱意を持って運営していた。
 「精巧にデータを集計」「年間ベストテン」「常連3大スター選出」などといった、おおよそ地方の一番組の一コーナーと思えない熱意を持った運営のされ方は、後の自分の宇宙サービスや自サイト「お父さんのための芸能通クイズ」の運営の手本になっているのではと、今綴りながら気付かされています。
 この番組独自のスタイルの「替え歌」「コミックソング」の特色は、投稿者本人のキャラクター性をある程度要求してそれを評価点にするところでした。ただ上手いだけの替え歌ならば、3週くらいしか残らなかった。
 「わけありベストテン」当時は恐ろしいくらいに倍率も高かったと聞きます。自分も2度投稿したが歯が立たなかった。
 偶発的に生まれた、恐ろしくレベルの高い(但したまにレベルは上下してた)コミックソングのコンペみたいなものが毎週行われていた、と今でも認識しています。
 この番組に、中学高校と夢中になっていました。自分は中高生の頃、有名な進学校の寮に入っておりました。
 それは自分にとって全くよくない経験だったのだと思う時がある。
 禁欲的に、また束縛的に過ごしてしまったなあと思っています。寮では音楽や漫画など、大衆文化の類は持ち込み禁止でした。ラジオ程度ならと隠して聴いていたのでした。
 思えばそういった生活で聴いていたものだから、ひょっとしたら自分のフィルターによる過大評価があるのかもしれません。

 わけありベストテンは自分が高校2年の冬にパオーン終了とともに一旦終了。このコーナーは次の番組に引き継がれることになりました。それが「タコ天」。
 わけありベストテン並みの熱意で動いてくれていたこのコーナーで、自分はなぜか投稿常連の仲間入りを果たしてしまいます。
 「倍率低いかもしれないし、曲が掛かったら面白くね?」
 ってくらいの気持ちで送ったテープがこんなことになろうとは・・・。

 次回は「タコ天」のお話。