JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

宇宙サービス10周年(3)

 先に書いた番組「タコ天」は正式なタイトルを「たこのあしベストテン」、略称「タコ天」といいます。イカ天の安易なもじりです。替え歌投稿が多かったな。自作曲もけっこういた。

 自分は「タコ天」で表現する喜びを覚えました。
 ラジオに投稿するようになる一年前に高校の寮で出会った、演劇人志望であった高校の先輩との邂逅もあったのだけれど。
 思えば表現する喜びを体現するというのは昔はハードルが高いものだったなあと。
 今じゃ匿名掲示板で犯行予告するだけで有名になれる世の中です。動画サイトに何かくっちゃべってるところをアップするだけで多分、あの時代のラジオ投稿と同じ興奮を味わえるのではないかな。

 高校時代はバンドブーム真っ盛り。
 思えばお坊ちゃん学校だので、周りは親から楽器買ってもらってライブハウスデビュー、いっぱいいたのよね。
 自分は冴えないオタクちゃんだったのだけど、昔から歌だけ上手かったのです。無駄に。
 家は貧乏なのに勉強が出来るからとそういう学校に放り込まれた凡人の子供でした。そういう自分がそういう学校に入ったところで結局「勉強が出来る集団の中の下のヤツ」に成り下がったわけで、無能感でくさくさした学生生活だったのです。
 自分だったら音楽だったら凄いことならね?とか、無駄な全能感で投稿したら、それが評価されてしまった。

 結果的に人生狂ったとは思っているけれど、まあその後の人生の出会いもなかったわけで。いや、こっから先まだまだいい事が待っているかもしれないし。

 もちろん、その当時投稿してたヤツ今聴くと発狂ものですよ!!

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 タコ天も6年間続き。
 福岡の大学に入った自分は、タコ天のファンクラブみたいなものを作ったり。
 ミニコミを作ったり。
 そこで得た友人にたまを教わり。
 そのイベントにのこのこやってきた現嫁と出会ったりしたのでした。
 そして、その当時彼女のドンの字から電気GROOVEを教わったのでした。

 自分はタコ天常連界のドンみたいな事をやっていました(※笑うところ)。思えば「自分みたいなのがいたから終わった、みたいに言われても仕方ない、申し訳ない」などと供述したいところもなくはないです。
 ただ、出会った人間達は宝です。あの時出会った皆さん、あの時のわたくしのたくさんの非礼をお詫び申し上げたい。
 「お前の家でやった数々の常連飲み会面白かったなあ」とてっちゃんに述懐されたっけな。・・・そう、宇宙サービスのてっちゃんはこの頃の出会いでつながった仲間です。他にも何人か、福岡の音楽仲間に、ネット仲間に残っています。

 番組は徐々に熱意を失い、次第にぼくらみたいな存在を疎んじておりました。またぼくらもこの番組の存在に依存しきっておりました。とりあえず表現の場所としてアレがあるからいいや、みたいな。
 かなりひっそりと、番組は終了するのでありますが、その末期で番組は「選者」としてエレキハチマキの坂井壱郎さんを起用。交流することがありました。
 そこで、地元のバンドのライブを見に行く機会を得たことは、後にライブハウスを主戦場にしていくきっかけになったのではないかなあと。

 タコ天末期には電気を意識したスタイルで公開イベントで曲を披露する機会にも恵まれて、色々な意味で感謝をしています。しかしラジオ終了時期は自分は大学卒業+就職が控えており、もう表現をすることもないのかなあ、などとぼんやり思っておりました。
 そう、いろんな意味で「卒業」の時期だったのでした。

(次は前身バンド「シンセパワー」と劇団ギガの話。)