JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

新しくなった安全で快適な夜の警固公園

 こないだ宇宙サービスのライブで岩国行って、これはその一日前の話。

 この日は夜、晩飯と風呂を済ませて夜半の便で小倉に移動する予定で。
 要は前日に小倉のたまきお先生のうちに逗留する計画だったのです。
 そんで、定期券で移動できる大牟田線で天神へ、バスセンターから高速バスに乗ってという算段。

 夜中といっても9時くらい、まだビックカメラの明かりはついている。ライブ前に小物で入り用なものあったっけか。ちょっとした買い物できるかな、駅を降りて大荷物で警固公園を通ることに。
 ・・・これが、恐ろしいくらいにだーれもいない。

 この公園、かつては憩いの場でもあったし、同時にホームレスの溜まり場でもあった。怪しげな出会いの場でもあった。
 どうも改装をしてから、警察官が真ん中でなにやら警備をしているようだ。その日もその姿が見えた。おお、ご苦労様です。浄化作戦うまく行ってますのう、と嫌味の一言でも言いたくなるくらいに。
 おそらく市民がそこに腰掛けるよう想定されたベンチ風の礎石の白が、まるで墓石のように暗がりをぼんやり照らしていて、恐ろしい空間に成り果てていた。

 自分は太宰府市の人間だからあれなのだが、福岡市民はあの有様に納得しているんだろうか。
 高い税金をかけた改装。あれは、天神の真ん中に墓場を作るのが目的だったのか?
 その日、ちょっと面白かったのが公園と駅の間の道路に、たくさんの若者がたむろってて。
 あれが本来あの公園が担っていた目的だろうに。意味があるのか?

 昔警固公園といえばホームレスがたまっていた。今のあの公園の様子では彼らの姿を見るのは難しいだろう。
 そんな時代に、うちの親父がゼネコンで働いていた頃。いろんなことに煮詰まって失踪した事があって、しばらくしてこの警固公園で、ホームレスに混じってる姿で見つかった事があった。

 ちょうどその時、警固公園では東京のアングラ劇団がやぐらを組んで、テント芝居を何日か上演準備していた。
 しばしして現・宇宙サービスのてっちゃんがその公演に地元役者のエキストラ参加として出ることになって、「観に来てくださいよ!」って話になったのだけど。その話したらうちの親父も何故か「行く」って言い出した。
 どうもその設営に積極的に参加してたどころか「カントク」と呼ばれて親しまれていた事が判明。
 「おれはのう、お前らが迎えに来んかったらあの連中と一緒に東京行くつもりやったんや・・・」
 親父は照れながらそう言った。
 観に行った芝居は面白かった。てっちゃんは暑苦しかった。
 受付の人がスーツ姿の親父見て、そしておれとおふくろ見て仰天していた。

 その親父は3年前に亡くなった。
 今のこの公園の有様を見て、どう思うだろうか。

 何がいいとか悪いとか。防犯上のアレだとか世代による価値観の移り変わりだとか、社会学とか都市工学だとか。いろんなものをひっくるめておれは親父に顔向けが出来ないなあ、と思い、誰もいない夜の警固公園の真ん中で
 「これがお前らの望んだものか!」
 みたいなことをつぶやいた。
 これはきっと多分、親父の言葉な気がする。


追記:そのときの公演は風煉ダンス http://furen-dance.info/の「スカラベ」。劇団サイトのバイオグラフィー見たら1994年。おれ、大学生の頃でKBCラジオに楽曲を投稿してた頃だ。ともかく衝撃だったのを覚えてる。