JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

宇宙サービスからてっちゃんが抜けることになった

 タイトル通りだ。
 はじめて「俺、抜けてもいいかな」とメンバーに言われてしまったのだった。クビにしたのとは違う。こんなことは宇宙サービスの前身バンド「シンセパワー」以来だったのだ。
 ちょうどその時、我らが大将ボギー君のバンド「nontroppo」に相次ぐ脱退者が出た。脱退記念ライブも行えないのは不幸だな、と彼がブログで書いてた直後の彼のカミングアウトだった。
 なもので、俺の悲しみは実は結構深く、でもボギー君がブログで書いてた通り「脱退ライブはきちんとやんなきゃだめだ」っていう気持ちもあった。

 足かけ15年くらい宇宙サービスをやっている。
 32歳位の頃、劇団のイベントに駆り出されてのスタートだったので、「売れるためにやる」なんて痛々しいので「どうせなら徹底的に売れないことをしよう」ってコンセプトで始めた。これはブレていない。
 てっちゃんは実はああ見えて演劇人としてそこそこのキャリアがあり、プロの現場を裏方としてまじまじと見てきた人だ。そんな彼が離れたいと言ってきた理由は凶なのか吉なのかはわからない。ただ
 「ジマオさん一人でもステージ成立できてんじゃん、最近」
 と彼から言われた時は少しだけ嬉しい気分がした。まあ、社交辞令半分だろうけどさ。

 という訳でこないだ脱退ライブ、何とか終わった。
 てっちゃん抜きのこれからの楽曲を考えなきゃいけない。
 いろいろ考えることはある。けれど。

 宇宙サービスはどうやら終わらないようだ。まだこの期に及んで、作りたい曲や紡ぎたい世界観が俺の脳内に渦巻いている。風原君も、抜ける気はないようだ。
 「ラブライブ!」みたいに、このライブを終わったら、宇宙サービスをおしまいにします!!ってやりたかった気分はあったんだけど、こないだラウンジサウンズ即興祭の成功を見て思った、あのバックのミュージシャンに失礼すぎる。

 俺の旅はまだまだ、もうちょっとといいながら続く。