JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

必殺仕事人2018の感想

 久しぶりに「こんなものか…」という脚本であった。
 が、建設的に評価すると比較対象を「必殺仕事人V」1話にすると「なかなかどうして、頑張ったじゃないの」になるから大したものだと感心する。スポンサー的には、
 「パチンコで入った人が多いから、脚本はわかりやすく勧善懲悪で!!」
 「ジャニーズの若い子を生かして耽美に描いてよ〜」
 全然そうじゃないじゃん!!

 涼次はギラついた坊主頭とヒゲ姿で耽美な衣装を廃し。
 賭場で絡む瓦屋の陣八郎とのコンビは、まるで必殺必中仕事屋稼業のようであった。そしてそこに耽美な知念君がひたすら殺しの業を思い悩むというなかなか頑張った作品じゃなかったかな。

 仕事人V1話は中村主水が「おまえのうらかぎょう、しってるぞ」と脅迫をされるところから始まる。結局それは子供が同心として賄賂を貰ってる現場を目撃していただけで、その子供たちの世話人の女性にたしなめられるのだが…子供、女性ともども理想に燃えて爆弾テロを行う悪党の餌食に!駆けつける主水「しっかりしろい!」「この金で…」という1話にして恐ろしく陳腐で退屈な作品だった。

 何気に「子供をたくさん世話している女性の存在」「世直しをしようと爆弾テロを試みる悪党」と、実際この仕事人V1話との共通点は実に多く、また劇判も仕事人Vの使用率が比較的高かった(からくり人率も高かったが)。

 仕事人2018では結局リュウがさらわれ、ついでに記憶を失って相手組織のコマにされる、さらに唐突な小五郎の過去などのちょっと含み過ぎなプロットが追加されたわけだけど、結局ラストで殺す相手が二人になった事には、なかなかおおっと手を打つところがあった。

 まず鈴蘭が殺しの対象にならなかったこと。
 小五郎が壬生の幻楼のアジトに乗り込んだ時、鈴蘭がいたシーンで流れた音楽は仕業人「お歌と剣之介」で、鈴蘭という女性は幻楼がどのような悪党でも添い遂げると決めていた節が見える。それはオーラスで、今わの際に小五郎に殺された幻楼の船に乗り込み一緒に沈んでいくシーンでわかる。例え悪党でも、彼の匕首の一撃を食らっても添い遂げたいという女の一途な愛。

 一途な愛が実らなかったのに、むざむざ生き残ってしまった男、瓦屋の陣八郎。
 そうなのである。それを忘れてもらっては困る。仕事人2010年代シリーズは、間違いなくこの男が面白くしている。
 前期必殺には「殺人快楽依存症」な殺し屋が多数いる。
 「あたしゃねえ、殺しをやらないと、なんだかイライラするんだ」
 仕業人・やいとや又右ヱ門(大出俊)の台詞だが、今作の陣八郎は表の姿も快楽依存者に描かれていて、間違いなく「殺しの場所に死に場所を求めるがために生きてる男」である。
 リュウ奪還のために涼次が出向くのにわざわざ合流する陣八郎だが、あれは友情じゃないのだ。間違いなく、死に場所に向かいに行く刹那な男の姿である。その証左にリュウに致命傷になりかねないような攻撃を受けている。

 その後あの「なんか強そうなやつ」を3人がかりで惨殺するシーンは「相手が悪なら、こっちはその上を行く悪じゃなくちゃいけねえ」という仕置人・中村主水の台詞そのまま。必殺の本懐である。
 リュウが最後に「一人相手に、三人がかかりとは感心しませんね」と丁寧に解説している。必殺とは、かくもめんどくさいコンテンツなのである。

 総じて、寺田ニコルソン(と、思い上がりも甚だしいがそう呼ばせて頂きたい)はよくやっている。今作を必殺仕掛人「理想に仕掛けろ」や暗闇仕留人「試して候」と比較する向きの論客は、ちょっと違うかなーと思う。この2作と比較してしまうとまず制作背景も世相も違う。それで結局
 「ジャニ必殺は邪道!!」
 「後期必殺は邪道!!」
 「ぼくのかんがえたさいきょうのひっさつのほうがすごいんだぞ!」
 で終わりだからだ。懐古主義が悪いとは言わない。でも、新作が作られることにまず感謝は必要なんである。何より、俺たちが好きだった必殺を知ろうとする、若いフォロワーがやってくるのだから。

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 そうそう、「必殺仕事人2016」については感想を書いていないが、その放送日あたりを検索したら事情は分かるか…。
 面白かったことは覚えているが、記憶もあいまいだ。