JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

仕事人講評「最後の大仕事」

 「必殺仕事人」大ヒット以降。
 うちら世代の必殺マニアはそのブームにあてられて、夢中になったものがほとんどだ。

 しかし、僕らは再放送で、あるいは後発のパッケージ作品で、そして関係書籍で。いわゆる後期仕事人が「前期必殺のいいところをつまみ食いして、薄めて粗製濫造した代物」と気付く。いや、それでも物凄く、素晴らしい娯楽作品なんだけどさ。

 必殺は「激闘編」終了以降、低空飛行を続けた。
 必死に飛んではいたけれど、「仕事人」のヒットでもう目的地を過ぎてしまったのかなあ。
 結局宛てもなく次の方向を定めようと迷走、あっけなく着水をしてしまった感がある。

 その着水した場所が「必殺剣劇人」。
 チャンバラ、大立ち回りといった、古典TV時代劇と必殺の融合、的な作品。
 必殺の生い立ちから考えるに、TV時代劇の本流への回帰は終着点と見ていいはずなんだけど、どうも腑に落ちなかった。
 剣劇人は、素晴らしくはあれど必殺フォーマットで作られたものとは多少言いがたい代物だったかと思う。あれは変化球過ぎた。

 やっぱり、仕置人から連綿と続いた、必殺が築きあげた流れの中で、それをやるべきで。


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 で、最終回だ。
 いや、スゲエ小五郎が無茶してた!!時代劇してた。夢みたい、カモノハシみたい!!(※剣劇人の名台詞ね)
 もう、これは必殺じゃなくてもいいじゃん!!普通の時代劇じゃない!!・・・いや待て、普通のチャンバラ時代劇は・・・あ、今やってる時代劇、この作品だけなのか?
 そう、必殺にそのシーンが求められる、そういう時代になってしまってるじゃないか。「必殺」の看板だけではなく「テレビ時代劇」の看板まで背負わなきゃいけなくなっているのだ。

 しかし、必殺っつーのは多勢に一人で乗り込むチャンバラ時代劇という荒唐無稽を廃し、「暗殺術」については徹底してリアルを保ち続けてきた訳じゃない。
 思えば「2007」の冒頭でいきなりチャンバラシーンが始まったとき、「うへぇ、必殺わかってねえ連中が作ってるよ!!」と憤ったものだった。
 マニアが納得し、なおかつ時代劇の王道に仕上げる。その難しい注文を、「剣劇人」は鮮やかな変化球で。そして今作では真っ向勝負の直球で挑んだ、そういうことだろう。


 仲間が捕らえられて敵が出てって特別編なのに、抗争シーンだけでやっててもいいのにさ。ちゃんと必殺フォーマットは崩さずに、依頼のシーンまで用意。
 依頼のシーンにはおったまげた。
 がっちりと、濃厚に。最期を看取る必然性をきっちり伏線として張っておいて、こまっしゃくれたクソ必殺マニアのおれも納得せしめる「しっかりしろい」シーンをやりやがった。

 小五郎の怒りを丹念に丁寧に積み上げて、じらして、溜めて、じらして。必殺世界ではご法度はずの、多勢に一人で乗り込むチャンバラなんて暴挙。いや実際には念仏の鉄だってやってるし、映画「必殺」の総力戦でもやってるんだけど、テレビシリーズ必殺にはあまりフィットしない光景だよな。
 そこを正面から、いともあっさりと勢いに任せて突破した。


***


 涼次の拷問シーン、殺しのシーンに散見された新仕置人のオマージュなんて、マニア向けのスパイスには賛否両論あるだろう。拷問シーンはなかなかエグいものがあったし。
 そこは媚びずに、アウトロー時代劇を貫いた。

 幾多の仕事人作品で、視聴者に媚びた作品が展開されてきたかもう忘れてしまったよ。
 「昔はああいうアウトローなことは出来たけど、今はちょっとテレビ的には難しいんだ」
 って最初っから宣言しちゃってるような有様。

 涼次が血にまみれながら、ぼろぼろになりながら最後の殺しに挑んだ姿は、マニアによる前評判の酷評の嵐に晒された、「必殺仕事人2009」そのものの姿に見えた。


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 終わってみて思うのが、スタッフ人は必殺をもう一度やるにあたって「必殺フォーマット」にあるシチュエーションの「何故」をとことん洗い直し、研究した節が見える。
 特に仕事人以降の悪弊として槍玉にあげられた「しっかりしろい」「依頼人が知り合い」「決まってアジト」。
 最終回はそれらを全て十分な説得力を持ってねっとりと描いていた。必然的に見せるにはどうすればいいか、を考えた結果だと思う。

 うん、思った、必殺仕事人2009は本気だった。
 せいぜい1エピソードくらいを見て「必殺じゃありません」などと日記に書き散らすような人間に、この本気は伝わらないだろう。観る側にも本気を強要する、そんな番組だった。
 彼らの本気が、必殺を時代劇の原点に回帰させた。そう認めるべきなのでは。そう思うのだ。


***

 それより最終回の現代社会風刺がよりにもよって「言論操作」!!

 「(瓦版の記事は)見つけるものではなく、作るものですよ。そしてそれに馬鹿な町人どもが乗せられるわけです」
 「そしてその馬鹿どもを作り上げたのは貴様だろう」

 必殺は最後まで本気だった。


 ※
 朝起きて読み直して必死に推敲。
 やっぱ勢いで書いた文はいかんね。