JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

平尾昌晃追悼

 平尾昌晃さんが亡くなってしまった。

 大学時代はいろんな夢を見ては、文章を書いたりする仕事を志しながらもあれこれに手を出して寄り道ばかりして、そこで中途半端な収穫に目をくらまされて、結局明確な夢を持たず成就させきれなかった青春時代だったなあと反省している。
 その象徴が就職活動の失敗で、始めようという時期にちょっと私事で大変なことが起きてしまった。就職活動しなきゃと気づいたのがなんと夏過ぎというありさまだよ?しかも超氷河期に。

 でもまあ、私事で大変だった時期にもなぜか音楽を始める萌芽というものが起きていたわけですよ。KBCラジオ中島浩二アワーザ3P」の自作曲の楽曲投稿なわけですが、その時ちょうどスーパーファミコンに作曲ソフトが何個かで出したんですね。
 で、またこの時期重なるのですが必殺シリーズサウンドトラックが16枚セットで発売になった。

 必殺シリーズ第一作「必殺仕掛人」から「必殺仕事人(第一作)」までの間、諸事情で離れた3作を除きシリーズ12作の劇判作曲を彼が手がけていたのですが、実に一作一作作品の作風によってテーマを変えていて細かい。学生身分だったから、変えたのは5〜6枚くらいか。
 時代劇にロックバリバリな「必殺仕置人」。
 大学のジャズ研を呼んだというジャズナンバーの多い「助け人走る!」。
 一変して演歌メロディと和風楽器の多い「必殺仕置屋稼業」。
 時代劇のサントラとは思えない明るいデキシージャズが続く「必殺からくり人」。
 悲壮なストリングス曲と秀逸なメロディが多い「必殺仕業人」。
 それまでの10作の集大成的な内容になってる「新必殺仕置人」。

 裏事情はいろいろ聞く。かなり弟子筋に作らせてただの、友人の曲を使いたいからと無理に使ったらレコード会社に怒られただの(実際「仕業人1話の殺しのテーマはそのために未収録」というのは音楽業界ちらと覗けば納得の話ではある)。慕ってきた人が実質ゴーストライターになっていただの。第一一人でこなせる仕事量じゃないことをやっている。2クールドラマシリーズの楽曲を毎回作風に合わせて20数作、おそらく没を含めればその倍作ってたのだ。そりゃ無茶もしただろう。しかし、恐ろしい量の平尾メロディを体に染み込ませたことになる。

 そういう時にDTMらしきものを始めてしまったのだから、今思えば自分のメロディの半分以上は必殺シリーズのサントラで出来ているようなものかもしれない。
 平尾メロディは自分の血なのだ。だから、ある意味自分の音楽の父の死、ということになるのかもしれない。

 やはりこのころの大ヒット作は西崎みどり「旅愁」が大ヒットナンバーになるのだろう。

 必殺シリーズの仕事を休んだ時期にリリースしたのが「カナダからの手紙」。自身の音楽活動を優先という理由であった。
 その後「必殺仕事人」(第一作)で復帰も、ある楽曲の使用方法に異議を唱えたのち、必殺シリーズには名義のみ記載という形で弟子筋などに音楽を作らせていたのが「必殺仕事人」以降の話。楽曲が柄と変わり「シンセで作ったチャンチャンバラバラなウエスタン」という紋切り曲ばかりが増産された。明らかに音楽的には面白くなくなったのである。

 彼のメロディは演歌とも取れず、どこか日本歌唱のの直流か、演歌を交えた傍流のような響きがあった。ロックンロールの洗礼と、演歌全盛の時勢に商業音楽の最先端においてなお。

 自分が一番彼の曲で好きな歌を、というとまず絶対にこの曲だろう。これが、時代劇「必殺からくり人」の主題歌である。1975年の作品。歌わせてるのは出演でもレギュラーでもない(!)、確か深作作品での殺されぶりに世間がようやく耳目を集めだしたころの川谷拓三。もちろん番組主題歌になったのでレコードシングルが出たがさっぱり売れず、プレミアになっているそうである。
 負け犬の息子より、感謝を。今も歌を歌っている。作っている。あなたのおかげです。