JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

そろそろ書いておきたいエヴァQの感想

 いやー、Twitterなんかでうかつに感想を書くと「ネタバレ感想なんぞ書くやつは恥」なんて風潮があって。おいおい普段は表現の自由なんてのたまうくせに。空気嫁って言葉だって、お上も下々もその使い方は変わらない。結局は「気に入らないやつは黙れ」。
 おっとそんな話はその辺において。

 嫁の誕生日に、エヴァQを観ました。
 もう観た前提でここから先は書きます。でも、観ていてもわからないかもしれない。

 自分にはこの話、311震災後のミュージシャン達の姿がかぶりました。

 多くのミュージシャン達が、あの震災のときにいっせいに
 「義援金だ!!」「助けなきゃ!!」「歌わなきゃ!!」
 と立ち上がったのを見た。俺だってそんな気持ちになった。

 世間はこの世の終わりみたいな震災報道と、いっせいに歌舞音曲の消えたマスコミの様相に
 「それどころではない」
 という表情を浮かべた。
 当時通っていた職場では、第二原発メルトダウンを起こす起こさないの時、一言も原発の話は出なかった。世の空気は幼児退行を起こし、何とかしてこの震災をなかったことにしようとしていた。

 作中で「エヴァに乗せてください!」と叫ぶシンジに向かって、ヴンダーのクルー達が見せたあの苦虫を噛み潰した表情。
 多くの人が感想で指摘してたが、
 「あんな状態でシンジ蘇生させたんだから、優しく対応するか真実は知らせず上手く隔離するかするのが妥当だろうに」
 って意見、自分も思った。
 だが、彼らの眼。言葉。あれはどうしても描きたかったのではないかと思うのだ。
 あれは、震災直後の、「世の空気」から一斉にミュージシャン達に、ひいてはアーティストたちに向けられた目だった気がする。

 結局シンジ君は色々と「世のため人のため」にあだなそうとあがく。せっかく得た仲間の助言も聞かず、熱量だけで思いつきで槍を抜く。最悪だ、何か起きた。結局また誰も救えない。仲間が目の前で死ぬ。何やら堅気になった昔の友人、みたいな風情のアスカが「ほっとけないよなこのガキ」とばかりに肩を貸して歩いていく。終幕。

 気がつけば震災から、日本って「名曲」「名作」何でもいい。優れた芸術作品って何か生まれたっけ。国民的な何か。
 あれだけ創作意欲のスイッチを押された人々が寄ってたかって、誰も国民を圧倒させるものが作れなかった・・・じゃなくって。誰もその創作の方向性を違えていたということだったのかもしれない、とも思ったけど、何かが違うような気がする。
 結局、受け手たる世間の人々は、それを欲していなかったのだ。あなた方の手は、必要としていなかったのだ。でも、じゃあ何が欲しいのか?と問われると、それはわからないと返って来るであろう。大事な未来を決める選挙を前にして、「ふわふわした民意」を返しているこの国の世間では。

 そういや自分は震災の頃、ちょうど嫁の看病でそれどころじゃなかった。
 たくさんのミュージシャン達の獅子奮迅と、そして跳ね返ってくる得体の知れない民意との軋轢。それを傍観するしかなかったのだけれど、あの時感じた心地悪さ。
 計画停電下で自粛要請されたミュージシャン達。反原発デモの乱痴気騒ぎ。表現規制に手薬煉を引く右寄りの人々。おかしな方向に創作意欲をスポイルさせられ、いつの間にか肩書きがナニガシかの運動に変わってる人。
 カヲル君とセントラルドグマに向かいだしたシンジ君のような人間を数え切れないくらい(というと大袈裟だけど)見送った。

 ひょっとしたら今度の選挙は、そんな人々にとってのニア・サードインパクトになるのかな。
 真っ赤な大地の死屍累々のなかを、自分含め生き残ったものは歩いていかなくてはならない。