JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

国士無双−ハリスの甲州街道あばれ旅

 ライブで徳山に行った。帰りのバスのチケットを予約しようとしてたら、丁度ツイッターで旧知の知り合いが「18きっぷの残り1日誰か買わない?」と。びっくりのタイミングである。

 そんなわけで徳山を始発で出て、普通電車の旅ができる算段がついた。まあ収入も少ない身、貧乏旅行と相成った。時刻表とにらめっこしたが毎年花見のシーズンになったらあそこに行っていたじゃあないか。
 本来なら秋月。
 しかしそこには18きっぷの鉄路は伸びていないので、秋月のついでに毎年足を伸ばしていた日田に行けるな。

 貧乏暮らしの中毎年レンタカーを借りてまでして、秋月と日田に足を伸ばしていたのは訳があって。カミさんのガンが見つかった年だけ、秋月に行かなかったのだった。まあ闘病中は、夫婦の験担ぎになっていたのだ。

 今年は、流石に秋月は行けなかった。我が家の前の桜並木を見ることも忍びないくらい、独りで眺める桜は今年は特にわびしい。

 カミさんと付き合い始めたのはKBCラジオの「中島浩二アワーザ3P」という番組の、ファンサークルを俺がやっていたのがきっかけだった。この番組には「音源投稿コーナー」があって、既成曲に替え歌なぞを吹き込んで歌ったのを「ザ・ベストテン」みたいに面白ければ何週もかける、みたいなコーナーが存在していた。熱狂的ファンがたくさんいるコーナーで、自分もその一人だった。
 昔はそのデータベース的ファンサイトも作っていたのだが、HDDがクラッシュして消失してしまっている。
 自分はそこでいわゆる「一発屋」であった。投稿しても没、が3年くらい続いただろうか?そんなときにカミさんと付き合い始めた途端、何故か作品が採用されるようになった。不思議なものである。そのときに作ったのが「あごひげ男爵甲州街道あばれ旅」。電気グルーヴの替え歌だった。「次送るときのペンネーム考えてるんだけど何かいいのないかな?」と訊くと「ハリス」と。「何でハリスよ」「なんとなく」今後23年、カミさんが鬼籍に入るまで幾度となく「なんとなく」とはにかむようにいう彼女の癖を目の当たりにすることになるとは思わなんだ。電気グルーヴも、カミさんに教えてもらっていたのだった。

 まあ何だ、今年は独りで旅だ。朝5時半徳山を出発、朝9時に小倉を出た日田彦山線甲州街道でもなく特にあばれもせず。日本人は桜が好きなんだなあ、どの駅も桜が満開であった。一つ一つ写真撮ってたらきりがなく、しかも雨天であった。

 たどり着いた日田駅はやはり曇天模様。目的地は日田から先。レンタカーでしか訪れたことのないバス停を目指すことにする。毎年桜の季節に写真を撮っている、日田バス有田線入美バス停まで、実際にバスに乗って訪れることにした。
 バス停のブログの2015年版

 さて、実際にバスで行くとなるとこの本数!!目的のバス停は終点(岩下)のひとつ前なので、写真を撮って満足…


 という頃合に帰りのバスがやってくる。写真撮ったなー、満足だなーという時間で丁度到着の2分前だった。

 カミさんとは色々共有もしていたが、相容れない趣味には互いにとことん不干渉だった。このバス停の写真もそう。実家に住んでたとき、実家の車に乗ってバス停探索の旅をしまくったが横にはたいていカミさんがいた。助手席に座って、ソシャゲなんかをやっていた。そして、たくさんの観光地も巡って帰った。ラーメンを食い倒れしたものだった。
 そう考えれば本当に一人旅は久しぶりだった。しかも、名も知れていないが桜の綺麗さならおそらく日本屈指の、どこにも負けていないバス停小屋の写真を撮りに行く。そんな珍妙な目的で。

 バス停のプレートに声をかけた。
 「カミさん、死んじゃったよ…」
 カミさんじゃないけど、「なんとなく」聞こえた気がした。
 「えっ!!」って声が。
 このバス停、道路の拡張工事にあたっている。この小屋の去就はわからない。桜も一部は切り倒されるだろう。今年は測量用に使う、ピンクのテープが生々しく貼ってあった。細いバス通りだが、この前後は歩道つき2車線で整備が着々と進んでいる。仕方のないことなのだ。ぎりぎりかすめるような形で小屋は残るかもしれない。

 帰りのバスに乗った。運転手にあのバス停の魅力を伝える。時々旧道に入り込み、細道をうねるように走るこの路線自体も乗りバス体験として素晴らしい。まあ、これをもってあばれ旅ということにしていいだろう。それにしても今年の桜はちっとも美しく思えなかった。今年、満開の時期をことごとく曇天が襲ったのはカミさんの涙雨だったのか。あいつならやりかねない。
 日田バスの話を訊けた。バス停にかけられるお金があまりないのだとか。いえいえ、十分だと思う。奇跡のように昔ながらのものが残っていたおかげで、ぼくらはバス停の変容を記録することが出来たのだった。大分北部交通の壁張り式のものと含めると、戦前あたりにまで遡れるかもしれない形式のものが残されていたおかげで、交通史的に貴重なものをデジタルデータに収める事が出来たのだから。

 日田駅に戻って、日の明るいうちに帰ろうと思った。何せ朝の仏事はやれていないし、何より花の様子が心配だからである。実は真面目に毎日水かえをしたりお供えをしたりしている。続いているのである、あのめんどくさがりのおれが。信心なぞなさそうなおれがである。不思議なものだ。

 この旅で、靴を履きつぶしてしまった。