JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

西新岩田屋の思い出

 昨日で福岡市早良区西新のランドマークタワーであったプラリバが閉店しました。
 どうやら老朽化とのことなので、あそこは解体ということになるのでしょう。

 西南大に通っていた自分にとっては西新岩田屋の屋上、というのがあっている。
 ツイッターでは沢山の人々が、屋上からの眺めを写真に収めていました。
 あそこには昔、福岡で最後に稼動したダライアスがあってなあ。よくやったもんじゃった。
 いや、そもそもあの屋上のゲームセンターは物凄かったのですよ。
 VS筐体マリオ、レバーとボタンが垂直のテーブル筐体、山登りゲーム、全てが博物館状態だった。奥のほうに起動するのかどうかすら不明のドライブゲームがあったなあ。

※これは山口県の玖珂にあるレトロゲーム館にて。今も現役!!

 思えば自分は単純に偏差値で入れそうな大学を選んだだけだったとか、福岡だったら実家から通えるとかしか将来の事を考えてなかったのです。
 そりゃ、夢はあったけれど。丁度その時期に、兄が挫折して帰郷してきました。
 おんなじような夢でした。

 結局大学より変な事に夢中になっていたのでした。
 変な音楽(替え歌だけど)を作ったり、変なミニコミを作ったり、漫画を描いたり。何故か自分には人を呼び込む術に長けていたところが(昔は)ありました。学外でのサークル活動に夢中だったのであります。
 で、大学は当然留年です。
 バブリーなキャンパスライフなんてちっとも似合わなかった。
 身の丈にあってない、と感じた不登校児でした。

 大学時代の西新は灰色の青春を過ごした街です。
 留年したのでスゲー空き時間が出来る履修になったり。そんな事を過ごしましたが、その間を埋めたのがゲーセンたちでした。

 西新岩田屋には本当に気が向いたときだけ、もしくはダライアスが置かれているときだけ通った記憶があります。エキストラヴァージョンだったかなー。
 もう、その頃には催事場でイベントが開かれることは少なくなっており、かなり寂しいものでした。

 「昔この屋上で○○さんが来た!!」

 って思い出は自分にはなく、ただ荒涼とした、灰色のけだるい空気だけが心の中を流れていきます。自分は何になりたいんだろう、逃げてるんだろうか、結局それだけだったのかなあ、と。あそこはひとつの逃げ場所だったのかもしれない。

 逃げ場所を失うというのはそりゃあ辛いものです。
 まあ、とっくの昔に西新のそこは逃げ場所ではなくなったけれど。
 逃げ場所だけを確保して、要塞みたいに守りで固めた人生なんてごめんさとばかりに、土砂降りの中を走り続けた人生な気がする…。それはいつからだろう?

***

 しかし、だ。
 そんな西新岩田屋の灰色の青春の時代から今のカミさんが傍にいて、今結婚して居を構えているのはちょっとした奇跡だな。
 んふふー、奇跡も、魔法も、あるのかもしれない。
 ちなみに今のカミさんの容態?
 ありゃ全然患者と思えないよもう!