JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

「ハイスコアガール」読んだ


 「ハイスコアガール」というマンガがヤバい。

 1990年代初頭のストIIブームの頃の話。
 ガイル使いの小学生・ハルオがザンギエフにボロ負け。相手はこれで28連勝だと!?
 格闘ゲームを知らない人には伝わらないこの台詞。 作中でも詳しい解説が入ってるので、まずは一読を。

 (※ここから先は多少のネタバレを含みます)

 相手はクラスで同級生の容姿端麗博識多才、まさに才色兼備の女の子、おまけに超がつくお嬢さま。そいつがなぜザンギなんかを使うのだ・・・!
 そして、クラスで何をやってもうだつの上がらない俺(とはいえガイル使いだけど)が唯一輝けるこの場所で、お前は俺の聖域を犯すつもりなのか!?

 ・・・って出会いから、二人をつなぐ「あの頃のゲームセンターのゲームたち」、そして当然湧き上がる淡い恋心。

***

 「可愛くて強い男の永遠の憧れの存在」としての、万能な超ゲーマー少女という設定は実はそんなに珍しくない。
 「オタクなボクの世界をわかってくれる上に強い!そして可愛い!」
 という使われ方で、ギャルゲーや読みきりエロ漫画誌なんかにはそれこそ沢山いるだろう。

 だがその設定を持ったヒロインの多くは「多弁」「雄弁」であることが多い。

 多くの創作者がこのありえ難い「超ゲーマー少女」というキャラに自分の分身性をこめていく作業をするうちに「多くのオタク男性が持つ、知識をひけらかす雄弁・多弁」を込めるのは常道になってしまう。
 また実際にそれを持つオタク女性は現実にも実際とても多く(※「男兄弟の影響」で考えるとわかりやすい)、その体験事象から取り入れている場合もあるだろう。


 ・・・この作品のヒロイン大野晶は、それらとは全く一線を画している。

 「雄弁なオタク」であるハルオが、91年のゲームセンター世界を語りつくすように、大野に一方的に語りかけるのに対し、彼女は一切の言葉を発しない。
 神々しいくらいの寡黙さと、時折見せる感情丸出し行動。その一つ一つで、こいつはどうやら重度の超ゲーマーで重度のオタク資質を持つことだけがわかっていく。

 作者は怪奇マンガ〜ギャグマンガを経てゲーマー少年自伝期的作品も物したという。
 筆致は重く、イマドキの萌え絵とは一線を画し、「個性的な絵柄」でもある。

 だがこの大野晶が本当に愛らしい。

 寡黙は、不器用の裏返し。これは寡黙キャラクターの常道だ。ぽろぽろと、じっくりと、切なく鍍金が剥げて行くさまが本当に素晴らしい。気づいたころには、すっかり惹きつけられてしまっていた。
 1巻ラストにはひたすら涙するしかない。
 ガイル少佐の男気に。テレビから流れるアビゲイルの嘲笑に。安陀婆はいう。
 「いけ そして頼朝を討て」

 一つだけ不満があるとすれば、彼と彼女はシューティングが苦手だったこと。
 きっと彼も彼女もあの、「覚えてないと瞬殺系シューティングゲーム」隆盛時代を
 「ケッ、今に見てろ、アクションゲームの時代が来る!」
 とか思ってたんじゃなかろうか、子供心に。
 遊園地で二人でプレイしてた、すっかり落ち目のダライアスII。今でもよく覚えている、ゲームバランスは最悪だった。作者もきっとそんなヒネたゲーマー少年だったのかな。小学生には、シューティングゲーム群はコインを吸い込む魔性の機械だったのだろうな。
 その時代、ぼくは学生寮を病院とか行って抜け出してはゲーセンに通うゲーマー少年だったのでした。ゲーメスト、ボロボロになるまで読んでは、瞬殺されぬように身構えてた。

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 ゲームセンターがリアルで死んで行っている今、
 「こんな時代があった事を伝えたい」
 と思ってる人が自分以外にもいたと思うと、感涙の極みです。
 宇宙サービスでも最近「サブカル」という歌を作ったけど、自分にはその思いは、こんな素晴らしい作品にまで昇華し切れなかった。
 まあわしゃアマチュアバンドだけんどさ、やっぱしね、まだまだ自分は表現者として未熟なんだなあと恥ずかしくなったゾナモシよ。泣いちゃったよ。鳥肌立っちゃったよ。

 今朝、神々しい気持ちで、大野晶のように凛としてコットン2周した。絶好調もいいところ、1周ノーミス、鬼門の2-4ボスも完封という内容でした。