JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

「たまの映画」観てきた

 たまは、世間的な俗な評価は「プロ野球の期待はずれの外国人助っ人」的なものだと思う。

 「あの平凡な成績で終わったあのピッチャーね、実はものすごい斬新な投球術を持っててイチローですら一目おいてたんだぜ、野球やってるヤツならわかるんだぜ」
 そういわれても、世俗的に生きてる人で、野球に興味がないのであれば、ふーんでも成績はさっぱりだったんでしょ、結果残せなかったわけだし大した事ないじゃん、だ。

 同じ話をもし自分が聞いたなら、どう凄いのか、根掘り葉掘り聞いてみたくなるだろう。
 自分は野球をすることはないけれど。彼の技術を習得できるわけもないのだけれど。
 その彼の編み出した野球技術の凄さをわかってあげたい、評価してあげたいと感じる無償の愛というか。
 そんな能動的に、事象のすべてに面白さを探そうと考える姿勢というのは、どうやら変わり者の部類であるらしい。

 そもそも世俗というのは、音楽に深く造詣を持つことはない。ましてや演る側に回ってどうこうなんても考えないだろう。
 それこそたまはセールス的には、一発のメガヒット以降さっぱりだった。
 世間的評価を受けるためなら、むしろ自分たちのような変わり者のことはほっといて、受動的に面白いものを口をあけて探している雛鳥のような連中に、彼らの望むやっつけ仕事を投げ込めばよかった。
 彼らはそれをよしとせず、むしろそういう連中が好む仕来りを(劇中でもGさんがそう言ってたが)かったるいものとして切り捨て、いつまでもぼくらのような人間に向けて歌を作り続けてくれた。


 「アンヴィル」という映画が最近そこそこ評判になった。
 マニアには知られてるが売れたことがない、でも続けてるロックバンドの話。誰もが彼らの一度きりでもいい栄光を望んでる、ドキュメンタリー映画になってさあどうだ・・・って話で紹介されてたっけね。

 たまの映画の話をmixiニュースで見た。
 ニュースをオカズに書かれた日記のほとんどは、映画冒頭のインタビューのままだ。
 受けた情報をそのまま、薄っぺらい挨拶のように発せられたその文章群は、小学生が
 「エグザイルがかっこいいと思います、いい歌とか作ってるし」
 と話していたのと別に変わらない。

 彼らが望む映画はきっと、「たまの映画」でもう一旗あげようとするダメな親父4人の姿だろう。
 あわよくば再結成して時の人になった後もう一度ダメになる姿。
 信じられない不幸になった彼らの姿。
 乃至社会人として立派に「更生」してサラリーマンやら居酒屋の店長にでもなった姿。


 安心して欲しい、そんな彼らが望む「たま」はこれっぽっちも出てこない。
 おそらく「なんでこの映画ですら『別に売れなくてもいいや』なの?また売れるチャンスじゃないの!?バッカじゃないの?」と思うだろう。

 そんな彼らを尻目に「ずっとファンでよかったなあ」とほくそえむことが出来る自分でよかったと心から思う。
 あれが彼らだから。一旗なんて上げる気もないだろう。そのありのままが映し出されていた。
 ツイッターで確認する限り、石川さんはチェンマイ滞在中らしい。キャンペーンなんつうものすらかったるいとばかりに、奔放にやっている。
 「なぜ彼らはそうなの?」という足がかりから、この今の日本のあらゆる文化をどうしようもないものにしている、この不毛な受動的姿勢から一人でも多く目覚めて欲しいと感じた。
 多くの受動的人間の目は、死んでいる。
 映画が終わった帰りのゲームセンターで見た、多くのオタク青少年たちの目は見事に死んでいた。


 あまり宇宙サービスみたいなテクノユニットなんてやってて言うのもなんですが、自分は石川さんに憧れてバンドを続けております。
 鑑賞中ずーっと、何度も。「こんなことしてる場合じゃない、早く帰って何かしよう」という気分に襲われ続けました。
 嫁が重病に罹ったりで音楽活動を続けるか悩んでいるところなのですが、できる範囲で続けようという決心もつきました。石川さん、ありがとうございます!!

 こう書くと宇宙サービスの自分を「ピエール瀧でもないし、卓球でもないし」と思って腑に落ちてなかった人がすべて納得いくかもne!!

 そして冒頭のヒロポ君に嫉妬。