JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

かくてひとつの戦争が終わった

■内藤タイトル初防衛、大毅に圧勝(読売新聞 - 10月11日 20:54)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=314504&media_id=20

 昨日日記に書いたんだけどこのタイトルマッチって、まあ格差社会といわれるところの下流社会のいわゆる「ヤンキー族」と「ワーキングプア族」の代理戦争という趣が強くって。

 ヤンキー族は一応、目に見える強さを誇示したり、短期的な結果や利益を上げることで下層階級の上位に君臨する部族ですが、社会的には上流階級に上ることは殆どありません。
 そんな彼らのカリスマたる挑戦者の亀田一家は、ヤンキー族のしきたりを重んじたようなファッション・言動で彼らの先頭に常に立ち続けた感があります。
 また彼らがさらにカリスマである理由に、「どんなことをしても最後には勝ちを収める」というのがあります。ヤンキー族はその過程には絶対に目を配りません。最終的によくわからないが勝つ存在にあこがれます。

 一方チャンピオン内藤選手は、いわゆる「いい年して収入も少ないのに夢をかなえるために難儀して・・・」という人となりが報道されるくらいの苦労人。日本チャンプとして君臨しても、世界に出てこないうちはマイナースポーツ扱いされる日本ボクシングの悲しさに翻弄され、また屈辱の敗北を味わいながらも再起したりで、ワーキングプア族の都会の労働者には、共感できるという人も多いかと思うわけですよ。無論ボクもです。

 で、このマッチ。
 試合内容はまったく見てなくて、ようやく何個か上がった最終ラウンドの動画を見て思ったんですが、この試合を観てわれわれが感じなきゃいかんことってのは、正しい信念に導かれて積み重ねられた、地道な努力って本当に実を結ぶんだなあということじゃないでしょうか。あの異様な雰囲気の、大舞台で淡々と自分の仕事をしたチャンピオン。今は不遇に甘んじているけれど、努力を積み重ねることが大事だと強く教えられた気がします。
 そんな風にしてワーキングプア族のカリスマが一人誕生した影で、飽きっぽいヤンキー族のカリスマは一人、「依るべき強者じゃなかった」などとあっさり切り捨てにかかられているのです。12ラウンド戦い抜いて粘りを見せたりと、ヤンキー族らしからぬ泥臭い、努力家の一面しかいいところが見せられなかったという最悪の結果を見せた彼。っていうか、そこは評価してやりたいけれど、彼らのファン層には「攻撃を仕掛けなかった弱っちいやつ」になっちゃうんだろうなあ。