JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

【追記あり】最近この街では、暴走族が増えている

プロフに久々に個人活動を入れました。やっぱこっちが落ち着くねえ。

実はなにげに初のオファーが二つあって、絶頂天も楽しみなんですが7/31はとってもとっても楽しみです。どなたか、エディットモードでオリジナルチームが作れるスポーツゲーム(サッカーか野球)でおすすめのものを教えていただけないでしょうか。できればキャラエディットが自由なやつ。

昼書いた日記の話、賛否は両論のようですね。まだまだ世論も、捨てたもんじゃない。けれど、あれはHPをやってる側にはやってられない。・・・いや、逆に肯定的に祭られる可能性もあるんだけれど。そんなことになったらあたしゃびびる。



 さっきから家の周りを暴走族が走っている。こんな真昼ま王に。おかげでバイクをバイク屋に持っていかなきゃならんのを思い出してみた。

 さてじまラジの更新がどうも遅れるのが日常ちゃめしごと(なぜか変換できない)になっていていかんのですが、編集に5倍手間がかかる上に仕事が忙しいんじゃねえ。つくづく個人活動は、やる気がいっちゃん大事です。

 少し鬱がひどくなったので(多分とある症状が出てるぽい)、QMAのドンさまをしばらく身代わりに立てようかなと思います。しばらく別カードでやってると思いますがそういう事情ということで、別に他意はありません。
 いや、毎年何かしらを失うので、厄除けに。まあ1週間弱くらいだと思いますが。

 「ニコニコブックマーク」のニュースを見て、なんかこの風潮が肯定的に受け止められるならば、サイトを閉じたほうがよいかなとかぼんやり思っています。

 現状のネット上のツッコミ文化の行き着く究極の目的地は「一億総受け手」です。作り手文化を食い荒らしてすべてがなくなるまでむさぼり尽くしてるに過ぎない気がします。

 いうなれば芝居中に観客が舞台に次々と登って「オレはこう思うぞー」「筋なんて変えちゃえー」なんて大声で叫び始めたら、至らない客は面白がるかもしれないけれどそれはもはや舞台じゃない。演出家の意図、役者の技術を踏み越えて、土足で舞台に上がる人間は、実はもう受け手でもない。断じて演じ手でもない。

 自分はサイト持ってもう7年か。
 作り手はそれ相応の技術習得、歴史の学習、リテラシーの確立などを学んだ上でようやく舞台に立てます。いや、まあそんなことしたことがないってやつも立てるけれど、大成する人は大抵その辺をしっかりやってるからねえ。もちろん、自分だってそうやってきた。けれど、そんな努力を踏み越えて、受け手が同じ土俵に立って、作り手をいいようにめいめいが動かそうとする文化なんて、先人がそうやって築き上げた舞台の破壊に過ぎない。めいめいが動かそうとするならばその方向性は、ゆくゆくは多数決で決まっていく。万人受け以外のものは、やることすら禁止されるだろう。作り手は顔色を伺うだろう。そこにつけこんで怪しい連中が暗躍するだろう。文化の多様性を真っ向否定するだけだろう。まあ、もうそんな時代は商業的なところでは完成されてるが、ネットというアングラにもその波が来るのか。

 そんな中で何を作る?誰を楽しませる?どんな考えを歌う?どうやっても、多数決の総意の中に飲み込まれて気持ち悪い別のものとして昇華されて喰らい尽くされるのが落ちでしょう。
 何もかも虚しい。やってる意味が欲しい、なんて青年みたいな言い様をこの歳にするなんてとか思うけれど、やっぱりそう思う時だってある。とりあえず言えるのは、7年前ネットにみなが望んだのはこんな空気だったのかってことだろう。