JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

少年兵は当時17歳

 ドンの字と、昔遺跡発掘のときにお世話になったご老人の家に行った。
 本当にお世話になり、会うたびに「はよう結婚せんね」と声をかけてくださった方だった。
 しかし一年前、交通事故にあったと聞いていて、その方の年齢を考えると安否を聞くのも憚られる様であったから、なかなか足が向かなかったのだが。
 何せ、ドンの字とこういう展開になっているわけであるし、どんな形でもいい。その人に報告がしたかった。その一心だった。

 チャイムを鳴らすと、その方の奥さんが応対。そして、表に出てきた。

 「どちらさまでしょうか?」
 「あの、ご主人と遺跡の関連でお世話になった…と申しまして」
 「ああ、ああ。お話は伺っておりました。」
 少しばかり自分とドンの字の人となりを話したところで、察する。ああ、あの人はここには元気な姿では現れないのだなと。しかし、話の流れで存命ということだけは察せられたところで頃合いを図り、思い立って聞く。
 「失礼ですが、ご主人は・・・」
 「ああ、事故に遭いましてねえ、そのまま意識が戻らんのです」
 少し目を潤ませた奥さんは、続けて
 「いつものように手を振って、行ってくるよって言ってね、それが最後でね」
 横のドンの字も涙目だ。
 「良かったら、上がっていかんですか」
 …誰が断るものか。

 ***

 しばし、ご夫人と話をした。
 あの偉大なる爺さんの発掘での武勇伝、そして休憩中にしていた昔話。

 爺さんは少年兵だった。
 戦時を極寒の豆満江で過ごした少年パイロットは、そこで終戦を迎える。
 迫り来るソ連軍、向かうは内地。ひたすら車を駆り、一夜の宿にした朝鮮のとある漁村。ここで換えの車と燃料と、軍需物資とを物々交換して南に向かえば、何とか逃げ切れるというところで。急に取引中止を言い出した相手が、彼をソ連軍に引き渡そう、そちらのほうが金になるとの裏切りをかけられそうになったという。
 「あんときゃ本当に生きた心地がせんだったけど、とっさにそこにおった年寄りにあたしゃ銃ば向けましてね。朝鮮人は年寄りば大事にしんしゃあですもんね。そんで取引ばもっかいさせて、そんまま車に乗り込んで逃げたとですよ。」
 その町にソ連軍は、その後一日もしないうちに押し寄せていた。間一髪だったという。

 あの爺さんがこんな話をしていた記憶をなぞるように、思い出し思い出ししながら昔話を続けた。ご婦人は嬉しそうにその話をまたなぞり、取りとめもなく身の上話をし、それはずっと続いた。
 あの人が人々の記憶から消えてしまわないように、少しでも人々の記憶の片隅に、元気なあの人が動いていますように。
 そして、動いているあの人のことを嬉しそうに話す俺やドンの字を、いとおしいものを見るように見つめていた。そんなご夫人の眼差しを、自分は一生忘れることはないだろう。

 二人して、報告に行ってよかったと思った。






 …とりあえず文章にしたためて思ったが、どこのドラマだよ!!!
 やっぱりドラマな日常だったんだね、これ。