あれから5年
1/15という日は「あの日」。
カミさんが突然動けなくなって救急車を呼んだ日。
とにかく「お腹が痛い」と零すようになって2〜3ヶ月。
内科に通ってもわからない。原因不明。仕方ないよ、消化器系の内科に通ったんだもの。気付いた頃には卵巣がんがとてつもなく肥大し、腹水を出し、腹膜じゅうにがんをばら撒いてた。
この内科の誤診は、「よくある事」だという。出身高校の関係で同窓生に医者が多く「専門の部位以外は申し訳ないが手一杯で分からないものなのだ…」とうなだれられるしかない。お陰様でその近所の内科さんは自分にはとても優しいし、責める気もない。
代わりに何度でもいう、女性の方々、消化器の痛みと思って原因不明で帰されるようなことがあれば絶対に婦人科に行って下さい。これは逆に男性にも言えるのかもしれないな。
カミさんは、ぱんぱんに張った腹水で動けなくなったのです。
その日の事をいまだに覚えている。夢の最中に突然昔のダイヤル式の電話のベルがなり叩き起こされた。もう、ただ事じゃない。これはもう仕方がない、と救急車。流石はプロ、見立てですぐに産婦人科の救急病棟へと直行。
ぼくたちにはまだ子供がいませんでした。
ただ、漠然とそろそろという気ではありました。
その矢先の出来事だった。
運ばれた病院で言われた一言は
「卵巣が肥大して腹水が出ている。これは確実に腫瘍だ」
頭の中でぐるぐるといろんな事を思い巡らせる。でも間違いなく言えるのは
「このままでは死に至る病の淵に居る」
「二人の子供はできない」
残酷な話です。二つの辛い現実を突きつけられた自分と、そんな自分とは裏腹に
「まずこの苦しみと痛みから逃れたい!!」
と訴えるだけで精一杯のカミさん。
「子供なんてできなくたっていい!あんたが死んだら嫌だ!死ぬな!生きろ!!なんとかする!!」
って、搬送先の病院で言った記憶。
これが、5年前の出来事。
がんとの戦いで出てくる言葉「5年生存率」。
カミさんの場合はおそらく20%くらいの状況だったのじゃないでしょうか。
ステージIIIの中央値が30%。カミさんはステージIV寸前だった。ステージIVになると12%。
いま現在、再発と戦っています。
戦いから逃れられているわけではないです。多くは語りません。
今年は書初めに
「生き残る」
と書きました。二人の家族です。家族で生き残りたい。できるかぎり、ずっと長く。例えどんな手を使ってでも。あー待て、怪しいのには引っかからない程度に。それは勘弁。大体うちら夫婦は出会い自体が前世で何かあったのか、それとも今の世があの世なのかというくらいドラマチックだったから、あの世か来世でもどうせ逢うだろう。そん時ばつが悪い。
「奇跡でも起きたら何とかなりますよ、でも、起きないから奇跡って言うんです」(Kanon/美坂栞の台詞)
20%か。5人に1人か。まだ、奇跡って実感が湧かないな。じゃあまだ奇跡じゃないのかな。
さっき、こんな暗い重い文章をつむつむと書いている俺の自室の隣から、テレビにツッコミいれながら爆笑してるカミさんの声が。
やっぱり奇跡かもしれないな。
「起きないから奇跡っていうんだが、起きたら起きたで大変だぞ!!」