死を見つめることがあった
嫁の死病と、死ばかりを他人事のように見つめていた。きっとツケのように、自分のこととなったらわあわあと取り乱すんだろうなと思っていた。
先日、あれはユーテロのライブの後だっただろうか?ツイッターでも書いていない。真っ赤な痰の塊を咳と一緒に発射してしまった。シューティングゲームで言えば赤いレーザーを発射するようなものだ。おのれの体に恐怖し、そしてなぜか
「ようやく、お前のとこに行ける」
とかいう刹那な感情が芽生えた。
近所の内科でレントゲンを撮ってもらう。嫁を誤診し、その後アフターケアを万全にするようになった太宰府市役所近くの某内科は流石だ。感謝+宣伝している。近くの大病院への紹介状を書いてくれた。
…行くと、CTスキャンが終わった途端いきなりマスクを強要され、隔離室に連れて行かされた。どうやら突然血液検査と検尿が始まることになった。CTスキャンが終わった後、腹が減っていたのでてっとり早くカロリーをと、雪印コーヒー牛乳という絶対に血糖値が上がるやつを飲んでしまったのだ。
血液検査に至ってはアンプル9本分も取られてしまった。途中「血の出が悪くなってきましたねー」なんて言われて、乳牛の気持ちにすらなってしまった。幸い注射の上手い人だったので、痛みはなくて安心したが。
マスクをした、主治医になるだろう若い医師から説明を受ける。CTやレントゲンの結果は、やはり死病の可能性は否定できない結果が出てしまった。そういう説明も、受けてしまった。
近くの街の大病院。軽々しく自転車で通ったのだが、帰りの足取りは重かった。
あいつは、いつも重大な報告がありそうな日、俺を一緒に呼んだ。
そしていつも、泣きそうになりながら。きっとおれが質問したり、どうすればいいか質問するのを聞いて安心していたのかな。
二週間くらいだったか。一週間だったか。もうついこないだのことなのに忘れてしまったが、再検査の結果肺炎が原因と判明した。そういえば親譲りで気胸になりやすい体質だ、と循環器科の人に警告されていた。そこに菌が入ってしまったのかな。まあ、血の痰の原因は肺炎が濃厚と判明。喀血と言えば思い出す「結核」が近い症状なのに、レントゲンの影が黒くなく初期がんを疑われたのが、病院通いを長くした原因だった。がんマーカー値は常人並みが2回続き、それではないと判明してしまった。まあつまり、畜生、死にそこなってしまった。という話になった。
この騒ぎの間一回だけ嫁は夢に出てきたが、旅に一緒に出て普通に会話するだけだった。おれにまるで
「あなたは死なないわ、私が護るもの」
と言っているようだった。病院騒ぎの渦中で、友人から大きな仕事の依頼が舞い込んできた。そして、無事とわかったので引き受けたライブで友人に仕事の仲介を(※あまり意識せずにやったらなんと!Win−Winな契約になったらしい)したことになった。
俺は当分死ねないらしい。
残念だが、どうも生きることに意味があるのだろう。