JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

テクマ!追悼

 人前でライブをするのは大変なのである。
 まず客集めも大変だしそして会場は?オケバックであるならそこそこ音量の出るアンプを確保するには?そして演じる場所とお客さんの場所の確保。PAの存在。
 そこまでしてやるにはもちろんその客の前で見合ったことをやるのも必要で、これが楽器の演奏会やロックバンドなどであれば、「楽器の演奏スキルを人前で見せられる程度習得している」という圧倒的な「客として来て見合った対価」になりうるのだがオケバックで出演するとなると非常に難しい。歌が上手いだけではただのカラオケと揶揄される。オリジナルソングであっても。
 「やりたいからです!」の熱意から始まったとしてもぱっとしないものをやってしまえば批判に晒される。伸びない集客に焦りを覚える。自己承認欲求が満たされず破綻していく。
 運よくそれらをクリアしたところでぶち当たる壁は、もうすでにそういうミュージシャンはたくさんいるということ。メジャーの人々に混じってライブをするようなことにも遭遇するということ。当たり前だがそこにはもう子供の頃から仕込まれたような天才や、芸能の神が商機をぐんぐん呼び込んでるオーラ満々の素人も混じっていたりする。本当に手探りで日の当たらない所で地道にがんばってきた努力は何だったのだろう、と思うことは何度もあった。

 なのでこの壁を乗り越えて続けた意志ともつという主題をこないだ「ラブライブ!サンシャイン!!」8話で見たときはなかなかどうしておおっとなった。ラブライブの世界の「ライブ事」はあまりここまでつらつら書いて来たことなぞ取っ払って、簡単に行えてリアルじゃなくてよかったはずだ。
 いや、「ラブライブ!」の1期3話の、懸命の集客の結果客ほぼゼロ、というシビアなシーンもあれ、自分にとっては結構ファンタジーに思えたのだった。サンシャイン3話くらいの開幕時の集客のほうがリアルかなあとは思っていた。4〜5人、これは結構リアルな数値だ。付き合いで来たーって感じの集客。

 さて自分自身宇宙サービスというバンドで初めて
 「こういうことをやれなきゃいけない!」
 と真面目に考えた相手は忘れもしない2007年に対バンしたテクマ!氏であった。自分たちのやってることは本当におこちゃまであった。それから考えを改めスタイルを確立するまでも時間がかかった。ぶっちゃけで言うと彼とは別の方策をとるしかないと考えを改めた。
 「悔しかった」からだ。
 対バンすることは4度あった。テクノ歌謡ユニットではあるがライブアクトの方向性は微妙に違った結果になったのでブッキング相性がよかったのだろう。去年12月ユーテロで打診レベルに終わったことがあった。
 この人は歌が上手い、動きはキレキレ、飽きさせない衣装換えと本当にショーマンであった。オケはCDに焼いたものをPAに渡していたが毎度箱によって音色を変えていたようだ。
 オラたちは変なメンバーを置く、パソコン使ってゲームパッドから音を出す、とか小細工に走った。これからももっともっと走るだろう。しかし楽器なしでもライブハウス立てる、という勇気を与える存在ではいたいと思っている。

 実際のところこの人とは対バン打ち上げで会話したりしたが意気投合することもなく、実際仲がいいというわけではなく、むしろあんまり好かれてなかった感じだったが追悼のツイッターを読んでたら私立中高出身と知った。ああ、なるほど同属嫌悪をお互い感じたんだなと納得したクソオタクは私だ。これはそういう学校に通ってまでアングラミュージシャンなんぞに身をやつしたもの同士じゃないとわからないと思う。

写真は岩国の対バン時で撮ったもの。このときの飲みの会話は楽しかったな。山賊教えてもらったし。
来世はモアベターよ。人身ばいばーい。