JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

がんと戦うということ(4)

4.奇跡の続き

 重い話です。

 がんというのは一度治ったとしても、再発という恐ろしい現象が常に付きまといます。
 また、周囲もやはり影響を受けます。
 自分もちょっとした病気に異様に怯えるようになりました。原因不明の腹痛が続いたりすると、すぐに病院に行ったり。大病院に回され、CTスキャンまで撮る羽目になって異常なしという返事を頂く、なんて出来事もあったほど。

 また、病気の爪あとはかなり重いものになりました。
 ぼくら夫婦は結婚をしておりますが、これは正直純然たる恋愛結婚で、なんか色々現実的に結婚を社会的儀礼と捉えて云々な方々には申し訳ないのですが、そういった繋がりであったわけです。それでもやはり結婚といえばあれ、という経験をすることが出来なくなりました。
 …すみません、なんか遠まわしでわかりにくい表現で。でもまあストレートにはとても書けない出来事なのです。
 覚えているのは、まだ嫁が入院をしている最中に天神に買い物に行った時。
 デパートのエレベーターに子連れの親子が入ってきたときに、
 「ああ、あちら側の世界にはたどり着けないんだな」
 と感じ、吐き気を催したのを覚えています。

 誰にも吐き出せないやりきれない苦しみ。仕事のストレス。心身の不調で、心療内科に通いだしたのはその年の年末くらいだろうか。
 その年末に、嫁は実家療養からようやく帰ってきました。念願の二人暮らしの日が戻ってきました。だけれど、それからの生活はあまり明るいものではなかった記憶があります。
 再発の恐怖。やることを失ったような日々。増える向精神薬フリーランサーの身、仕事のクオリティは下がる一方であえなく契約打ち切り。
 これは奇跡の代償だ、と正直自嘲しながら生きていました。

 そんなときに友人から電話がありました。
 「弟の嫁ががんに罹ったんだ、アドバイスしてやってくれないか」
 その顛末は過去日記
 http://d.hatena.ne.jp/jimadon/20141204/1417679051
 に記しています。
 奇跡は起こらなかった。

 嫁の再発を考えると休む暇もない、と嫌な予感のする求人先を見つけて応募。予感的中、初日から呼びつけて因縁をつけてくる長老が支配する最悪の職場。しかし生きるためには仕方がない。
 そんな中朝食も作らず、ただソーシャルゲームに夢中になる嫁の姿に俺は一度怒りました。「何のために生き残ったんだ」と。

 嫁は再起を考え、ハローワークの就職支援学校に通うことを考えます。エクセルとワードを覚えようという意図で。
 学校に通い始めた一週間後、皮肉にも一回目の再発が発覚しました。

 この時の自分の奮闘はいまだによく覚えています。
 ハローワークに通って「1年後でも嫁に通わさせて欲しい」と相談しに行ったこと。
 色々な公共福祉支援金の制度を調べたこと。
 そして何より、今度のがん闘病も
 「嫁を日常に戻す事」
 を一番に考えること。

 とにかく必死でした。そしてそれでも職場は常に最悪であったので平静を常に装いました。
 バンドのメンバーはある日うちにふらっとやってきて、抗がん剤で嫁が髪の毛が抜けていたのを見て驚いたので、何でそんなに驚く?と訊いたら

 「いやあジマさん、なんかガン罹ってるって、ウソじゃないかって思ってたんですよ。なんか出来すぎてる感じがして」

 彼は演じているところまでは見抜いていたのでしょう。だからきっと彼はあの時、裏の裏を読んだのです。あの時は彼は失礼なやっちゃな、と思ったけれど、実は自分に無理すんなって言いたかったのではないのかな。

 二度目の再発も滞りなく退けました。
 腫瘍の大きさは1mm大で軽微と聞かされていたのですが、実はステージBでそこまで軽いものではなかったと訊きあとでぞっとしました。もちろん自覚症状などなかったそうです。
 また、かみさんと二人の生活が帰ってきました。

(※二度目の再発の話の次回に続きます。)