JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

がんと戦うということ(2)

2.一度決めた決断に後悔しない

 がん関係で当事者になると絶対わかるんですが、とにかくがんという相手は不気味で恐ろしい存在です。イレギュラーなだけで細胞単位では正常で健康なものである。ミクロでもありマクロでもある。切除するしかない?抗がん剤しかない?とにかく、薬塗ってはい終わり、は絶対望めない放置したら死に至るもの。

 まあここまで列記して気付くと思うんですが、がんってそもそもがオカルティックな存在なんですよ。
 だからすこし怪談話やオカルト創作のレトリックで持説をつらつらと書き記していけば、そりゃもうまともな神経じゃない状況ならふらふら引っかかります。なんとか医師の
 「抗がん剤など使わなくてもがんは治せる!」
 説、要はあれ「幽霊なんて存在しない!」的な、いわゆるオカルト否定のロジックにあてはめたら納得行くわけです。だから当事者になっていれば、心のどこかで間違いなく肯定している自分がいます。無論自分もそうだと思っています。嘘偽りなく言いますが
 「でも、ちょっと信じちゃうかも」
 って思ってますもん。

 どんな決断を下そうが、どんな方策をとろうが各々が正しいと思います。
 そもそもがんってスゲエ理不尽です。
 それこそ怪しげな療法に手を出したり、一切の医療を否定したとしても、もう一度決めた方策を貫くしかないのが最善だと思います。

 結局自分の場合、嫁は半年にわたる抗がん剤治療を行いました。
 我がアパートは二人暮らし。その上嫁部屋は掃除下手で散らかし放題(※俺も人の事言えない)。幸い嫁の実家には人が大勢居て空き部屋もあるということで、嫁の実家で療養と相成りました。
 その相談中に義母は
 「もう、今年いっぱいしか生きられんと思う・・・」
 と意気消沈していました。

 療養生活が始まって、さあこれから波乱万丈が起きるぞ、と思いましたが。
 ・・・たが。なんですよ。
 そこから先は緩やかにがんのマーカー値がぐんぐん減り、4月には遠出できるようになりました。
 最初のうちは食餌療法として
 「もう乳製品は一切食わせん!!」
 と義母は息巻いていたのに、普通に生クリームたっぷりのケーキ出して
 「あ、もう良かろうもん一回くらい」
 とか適当にやっていたようです。

 ただ、食餌療法に関しては今でも厳しく行っています。
 肉類に関しては鳥と魚を中心にしています。牛、豚は極力避けています。特に牛に関しては徹底しています。
 自分自身も「牛肉はできるだけ嫁のいないとこでも食べない」と課しています。
 もはや修行の域ですが、なあに牛が食えなくてもそんなに不便はありませんがな。

 緩やかに療法が功を奏して、さしたるアクシデントもなく経過観察に移って行った奇跡的な経緯とは相成りましたが、代わりに自分のほうは心を病んでしまいました。仕事、嫁、実家とのやり取り、精神的負担はかなりのものでした。
 最終的に睡眠障害を起こし、鬱を診断され、本業にも支障をきたすことも多くなってしまった自分に、次の年解雇通告がなされたのは仕方がなかった事かも知れません。
 本業はCADオペなんぞをやっています。身分的にはフリーで渡り歩いていたのがたまたま近所の会社に定住した、という形でした。(※ちまっとしたdxf仕事でも大歓迎!大募集!ロゴトレースとかも簡単に出来ますよ!)
 会社の本業は、数字を扱う厳しい仕事でした。
 そんな中で心を病んだ人間が一つ桁を間違えただけで見積もりが大きく狂って、どれくらいの損害が出るか?まあぞっとしますよね。
 そして何より集中力と根気を必要とします。集中力を日常に割かざるを得なくなった時、そりゃ仕事にいい影響なんてある訳ない。解雇通告のとき、ほっとした記憶があります。

 でも、色々あったことを何一つ後悔もしていないし、決断一つにしても間違ってなかったと信じています。
 はじまりがそもそも理不尽だし。更にどんな理不尽が待ち受けていようが間違ったことは一つもしてないと信じるしかないんですわ。

(※当然続きます)