悲しい別れの先
「俺は、出会いなんて別れが決まってるんだから、これ以上仲を深める付き合いを避けているんだ」
ある一席で、さも「いい大人の処世術として、それが嗜みだよ」といわんばかりにかけられた言葉。
その集団とは全く馬が合わず、自分は離脱を打診されてとっととリタイアした記憶がある。
別れはどんな形であれ、深く傷つく可能性をはらんでいる。
それが理不尽で悲しいものであれば尚更だ。
彼らの言い分は、傷つきたくない行動を取るのならば十二分に正しい。
でも。そんな彼らのあの言葉がとても甘えた子供の言葉に聞こえてしまった。
甘えんじゃねえよ。心から思う。
ユウスケさんの奥さんがお亡くなりになられてしまった。
ある日、当時の職場でボギーさんからの電話をとった。
大変な病気にかかったこと。嫁の病気に近い大病で、色々アドバイスを頂きたいとの事。色々・・・。
俺はすぐにユウスケさんに電話をして(いや、かかってきたかもしれないな)、すぐさま嫁と二人で会いに行った。
まだ抗がん剤治療が終わったばかりで髪の毛の生え揃っていなかった嫁。
「私でよければ」と快諾してくれた。食餌療法の本を持っていった。
ユウスケさんちで、あてどもない話と克服話。ありったけの会話。
嫁が奥さんを元気付けているのがわかって、物凄くうれしくなった。
ベトナム料理やタイ料理は食餌療法に割と引っかからないよ、なんて話をして。
美味しいお店を教えたり。
ぼくら夫婦は夫婦ぐるみで付き合いがある、なんていう人々はあまりいない。
嫁さんが人見知りなのがいけないのだろうけれど、自分も自分なのだろう。
自分たちにとってユウスケさん夫婦は、ふたりで初めて仲良くなった夫婦、だった。
今日、職業訓練校でボギーさんから電話、訃報を聞いた。
今考えると、冒頭に書いた男から見れば、自分がそうやって仲良くなったことは愚かしく映るだろう。
「高い確率で、こんな悲しい出会いが訪れるような出会いだったのじゃないか?お前は坊さんにでもなるつもりなのかい?」
こんな言葉で陰口を叩くような気がするよ。
家に帰って、俺は嫁は悲しんでるような気がした。
「出会わなきゃよかった」
って、自分をなじるような気がしてた。
その男と同じ顔で、したり顔で。
嫁は開口一番、こうポツリと言った。
「・・・なんで私のほうは生き延びたのかな。」
悲しいのか?と思ったが、妙に達観した顔で嫁はこう続けた。
「・・・何か意味があるのかねえ。」
よかった、嫁も俺も同じくだった。
強さを持っていたし、覚悟もしていた。
おれたち夫婦は、これからも別れを怖れず、たくさんの人と出会う事ができそうだな、と思う。
それがたとえ子供じみてようとも、奇矯の振る舞いと嘲笑されても。
何度でも言う、甘えんなって言ってやる。
明日、二人で通夜に行こうと思う。
この悲しいお別れの先に、また新たな出会いがあるのかもしれない。
さようなら奥さん、そしてこれからも嫁ともどもよろしくユウスケさん。初めての夫婦での友達。