JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

ガス抜きin my head

 パワーワゴンさんことポカムス藤田氏の、ナンバーガールにまつわる回顧録ツイートがめちゃくちゃ面白い。
 http://togetter.com/li/125908 

 同じ時期の自分とその周辺の、どうだっていい場所でただなんとなーく表現の場を見つけちゃうとろくなことがないなあ、という自戒の念を感じた。

 藤田氏が「自分のドロドロした感情をどこで表現すればいいかわかんなかった」と悶々としてた頃、自分はラジオ番組に、コミックソングを投稿してたりしてそんな場所を確保していた。
 まあぬくぬくってのはアレで、実際にはそれなりに努力をしていたんだけれども。

 それがあっさり終わって「表現の場なくなっちゃったよ!自分でやるしかないよ!どうしよう!」とかなり怯えてた記憶がある。
 当時その流れから、ライブハウスとかに出るようになるまでやっていた長年の相方がいた。
 彼はラジオの投稿コーナーのような「与えられた活動の場」での表現が自分に合っていたから、次のそういう場を見つけるためにもがいてた。自分は「活動の場がなくなるあの恐怖を味わうのはゴメンだ」と自分の表現の形を変えるために必死にもがいてた。
 その相違が亀裂を生んだだけだったのかな。結局バンドはあくまで自分主観だけど「こっから面白いことが出来そう」に思えたところで解散した。

 フジタ回顧録の94〜99年の流れは、そんな自分たちがなーんとなくライブハウスの主流のシーンを斜に構えて、そう駆け抜けた時期だ。

 「福岡の田舎サロンの本流みたいなのには飲み込まれたくないze」なんて遠吠えをして、ヒネた活動をしていた頃だった。小さなライブハウスでさあ。
 ラジオの元人気者なんてバカみたいなプライドもアレだったけど、ネットなんかで楽曲出したりしたら妙に人気が出たりした時期もあったっけな。だけれど、その昔のネット上の音楽なんて本当にニッチな需要だった。

 どう強がったとしても、粋がってた自分達の本当にすぐ横を、そういうシーンがすり抜けて高みに登り詰めてたという現実はなかなか痛快だなあと思う。

 面白かったのはそのとき、宮下ムソーさんがその前バンドを見てるのね。スゲー評価してくれてた。
 あの頃ブッキングを考えていた自分が斜にさえ構えなければ、もっと今の友人達と早く知り合っていたのになあ。そう思う。

 まあ、あの相方はそうなってたとしても、早晩抜けていた。
 結果はよかったのだと思うよ。



 藤田氏と組んでいつか何かやりたいなあ、と切に思った。
 まあ、一回限りとかでいいんだけれど。
 「今も音楽やってるのに、あの時、どうして君はあの時の壇上の端っこにも加わらなかったんだ?」
 って人間が、こうやって近くで同じような活動してるってのは、凄く因縁を感じる。その問いへの答えが正反対ってところもまた。 

***

 で、ふと考える。
 俺たちがラジオでやってた楽曲投稿活動、ライブハウス周りのあの頃のフジタ氏みたいな人々からすれば。
 たいした努力もしてないくせに、多くの目に止まることをずけずけとやりやがって、みたいな。あんな目で見られてたんだろうなあ。

 まだ駆け出しで、Youtubeとかに自分の動画を上げようか逡巡するくらいの音楽青年がいるとして。
 彼が今時よくある「世間のみんな言わないけど言っちゃいけないことを棒読みでなんかやってる系鼻声ラジオ」に苛立っていたら。
 「その君が感じる負の感情は正しい」
 とだけ伝えてやれる、うん。

 先日「こいつのネットラジオやたら見かけるけど、人気あるのかなあ」と思ってmixiでそれのファンコミュを探したら、10人くらいしか入ってないという寒々しい現実を見てしまった。あれが、昔の自分の貌ってやつなのかなあとか考えてしまう。