JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

オフクロの村の話

小沢氏 1月の国会で参政権法案
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1048477&media_id=4

 オフクロさんはとある寒村で生まれ育った。
 そこには遠浅の海が広がる湾があった。そこは優れた漁場であったらしい。
 巨大な蛤がいくらでも獲れたと話していた。

 村はある時、近隣の市との合併話を持ちかけられた。地勢的に考えても漁業以外の産業など望むべくもない小さな村で、村の年寄りたちは自らの生活がよくなればと思い、合併話に大いに乗り気になった。
 母が語るその村の生活は、自嘲気味に「アジアの小国の山村の暮らしとかテレビであるやろ、あがんと見よったら思い出すとよ。本当にあげな風やった」と語ることからも窺える。
 しかし、村の若い世代は知っていた。
 その近隣の市が欲しいのは、この湾という土地。
 そこを埋め立て、巨大な漁港を建設しようという計画があったのだ。
 若い世代は反対したという。既に遠くに出てしまっていた母も、気をもんでいたらしいことがその話をするときの親戚との会話で窺えた。しかし、結局は老人たちの決定に押し切られ、村の合併は成立した。

 そして数年後。湾は埋め立てられた。
 そこに出現した広大な土地に、まず漁港が立ち。その上にたくさんの住宅団地が建てられた。母の実家の本村のあったところは湾沿いの、急峻な斜面上。たたずまいはそちら側だけはいつ行っても変わらない。オフクロの村はシンボルであった、つましくも豊かであった海を失ってしまった。代わりに得られたのはすっかり街になってしまったものの、どこかよそよそしい団地群と大型店舗たちの群れ。そしてそこに住み着いた人間たちの数たるや、村の人口をはるかに凌駕するのだ。すっかり余所者たる彼らの街と化してしまった故郷。

 田舎に帰りたがらない母。海の昔話をすると必ず、海が失われた悲しみを強調する母。

 このニュースを見て、思い出した。
 「若いうちらはあれほど言うたのに!!年寄りは何も聞きやせんかった!!」
 という、村の話のときに出てきた母の言葉を。
 母は最近のテレビニュースが怖いと愚痴をこぼしていた。
 同じ匂いを感じているのかもしれないなあ。