JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

面白くない理由を考える

誰か録画してないかしら…。

 よく「あー、それって面白くないよね。つまんないし」と斬って捨てるシーンだとかジャンルだとかテレビ番組とか、そういうのってあるじゃないですか。

 でも、それが何で、どうして面白くないのかって説明したり探求したりするのって、なかなかしないものだなあとなんでか仕事中に気づきました。でっかい図面を出す最中にプロッターの前でなぜかひらめいたんだから仕方がない。

 「mixiのコミュなんかにある『面白い○○トピック』ってのは何でおしなべてつまらないか」
 を考えてみよう。

 まず、面白いという状態から考える。
 「興味深い」という知的好奇心の刺激、「笑える」という感情まで。面白いという状況にいたる間口はかなり広いもので、またそれらのどの部分をして「面白い」と受容するかという個人差も存在する。つまり人間一人一人で確実に「面白い」の感知の仕方は違うといっていい。

 さて、大多数の人間と「面白いもの」を挙げあい、全員で「面白い」という感情を得ようとするというのは、実に大変な作業であることがわかる。当然のごとく、制度としては「多数決」が採られるであろう。確率論からも自然な流れと思われる。そうなってくると、「誰にでもわかるぬるいネタ」が延々続き、それを付和雷同の歯に衣着せたコメントが蒸し返し続けるというぬるま湯地獄が展開されることになる。なかなかつらい。
 もちろん逆も考えられる。
 構成員おのおのが、自身以外誰もわからないマイノリティ・ギャグを繰り出すという場合。
 最後に一番まずいのが、構成員がリテラシー教育がされていない、もしくは未熟な人間ばかりという場合。