JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

傘がないみたいな世界

 毎日家に帰ってみるニュースがすっげー暗い。
 自分が大学卒業する頃を思い出します。1996年、氷河期真っ最中。

 あの頃、救いだったのはWinのパソコンが普及しだした頃だったこと。
 あれは今考えても大きな技術革新でした。
 自分は結局食い扶持を探すためにパソコンを覚え、仕事としてこの機械を使うことから覚えました。幸い自分には才覚があって、仕事で使えるようにはなったのですが、その技術を習得できていなかったらどうなってただろう、という恐怖を感じます。
 誰だってネット見たり簡単に出来るじゃない、というなかれ。
 死ぬほど愚痴られて、怒られて覚えたからねえ、たががwin機を。

 ニュースで流れる、「切られた派遣の人々」を見るにつけ、まあ5月に自分もお先に同じ経験をして同じ考えに到ったところもあるんですがね、
 「じゃあ、これからの時代次何が来る!?」
 ってのの本命が、本当に見えない。
 自分らの時代は「ひょっとしたらパソコン今来てるから、それさえ覚えたらなんかあるかも」ってのがあったんですが、いまはなんだろう?自給率向上対策に乗って農業か?たんまりと財を囲い込んでる老人向けのビジネスか?どれにしてもこれにしても、輝かしい希望って感じじゃあないわなあ。
 この閉塞感は非常にまずいのではないだろうかと思う。昨日軽口で書いた「暴動」的な話、あながち絵空事じゃなくなるかもしれない。
 今居るとこも3月までの短期だしなあ。自分はもう、なりふりかまわず探すしかないと割り切るつもりではいるけどね。まあ、次何する?の資金稼ぎだし。

 しかしあの氷河期の頃、くすぶっていた自分が見た輝かしいパソコン→インターネットの未来像は、自分にとってはとっくに旬を通過してしまった気が、ちょっとだけした。