JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

日本人は根はいじめ好き(加筆)

 ラウンジサウンズのときに金的のCD買いました。

 自分がテクノやってるにもかかわらずコアな方向に向かわずにいる理由として、そういったコアな方向に向かうと発生する作曲にかかる手間と自分の作るメロディの歌謡曲的旋律の融合に技術がおそらくおっつかないという判断があるんですが。まあ、テクノの場合技術の向上=経済力という悲しい現状があるのです。

 ギターバンド思春期からやっときゃよかった、何かそう感じながら歌謡曲と超絶プログレが融合を果たした曲群を聴いて、うらやましくなりました。

 凄いなー。
 なんか苦笑が出る、スゲエ変態的リズムがたまらんです。
 買う時に「ライブとは違う味わいが」と樋口君が言ってくれたんだけど、どこが違うんだか(苦笑)!また酔っ払いながら聴くか、ラウンジサウンズっぽく。

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=42010&media_id=2

 私は集団の中に入ると、その集団のもつ負の力を一身に背負ってしまう体質を持っています。ちょっとオカルティックだけど巫女体質って言われたことがあります。お前が巫女なのか(苦笑)。
 不吉な集団であると自分が真っ先に事故り、人間関係がぎすぎすしていると自分へのいじめという形ですぐにやってきます。

 だからま、そういう職場のいじめ、いや集団のいじめというやつにはなんとなく慣れを感じていて、評論家でもやったらんかいって感じですからいえますが、ここ最近は本当にひどい。いじめというのは集団が病理を持ったときに発生する、もしくは集団のもつエネルギーが内にこもって、飽和した瞬間に自然発生するものなのですが、特に病理ももたない集団で普通にいじめが発生している現場というのがもう、普通になっています。しかも、手口は陰湿かつ巧妙なのも特徴です。

 ネット文化、メール文化という見えない形での陰口コミュニティを作るスタイルは、江戸時代あたりから続く密告文化を引き継ぐ日本にとって悪いほうに浸透しちゃったのかもね。なんたって江戸の5人組というのは非常にわかりやすい歴史じゃあないですか。日本人は徒党で陰口、が好きな人種ですから。その点隣の国の人々はおおっぴらにその辺をやるだけに、さぞ日本人のこれは不気味に映るかと思います。

 …とここまでは誰でもわかる話を書くとして。

 今まで見てきたこういったいじめというのは本人たちは「集団を維持するためやってる」と弁解する。なるほど、集団の中に異質な人間、なじまない人間が出たら矯正か排除を試みるのは自然であろう。が、その手段としていじめを選択する実情は「構成員が必死に、集団にしがみつくため」やっているだけ。いじめは確実に背徳的なことだが、背徳的なことを一体になってやることで一蓮托生的な一体感、つまりその許されざることをも許される集団の構成員として認められるという歪んだ願望が達成されている。最終的にその集団の目的が、いじめそのものにすりかわっているケースすら散見される。
 本来ならこういうことは思春期辺りで卒業しておくべきことであるが、不幸にも今の日本はそうではない。中学生の人間関係を引きずったまま、おんなじことの繰り返し。学生の頃に編まれた集団が「学校」というある種上から決められた単純な枠組みであり、そのものには強い目的と義務は課せられないものであるのに対し、会社組織や社会組織はそのようなものではないという認識が、全く希薄なのであろう。ゆえに、組織・集団になんとなくしがみつきながら、外を見ずに内々のあらさがしばかりに汲々とする人間をよく見る。匿名掲示板の内部事情晒し文章を見ていると、仕事などどうだっていいとばかりの他人の粗探しばかり。

 今まで見た会社で、集団として素晴らしかったところはみんな「集団を維持するため」として、自分の悩みも色々聞いてくれたし理解もして至らない自分を迎え入れてくれた。そう、集団とはそうあるべきなんだろう、きっと。

 大学の頃の恩師の渕上先生が見たらどう思うだろうか。あの頃先生が嘆いていた日本はより病理を増しいっぱしの怪物だ。