自分の適性を考える
今日は嫁見舞いと、実家のお袋と対話。
二つこなして考えたのだが、自分は本当にセラピスト的なことを能くこなせていると思っている。
まあ、自分にはそれしか出来ないっつーのもある。
そして大学で学んだことで一番活かせている分野でもある。
真剣に考えた。
「俺、牧師とかなろうと考えてみね?」
言われてみれば悩み相談もずいぶんと聞いた。
教育学部(正確には文学部児童教育科だけど)で学んだ臨床心理学の、ロジャース先生のクライエント中心療法を忠実に守る俺。自身の精神病とその克服経験。そして2年前から進行形で起こり続ける並の人間なら宗教に頼るような出来事の連鎖になお、菩薩の境地でいられているタフさ。
調べてみたら、まず洗礼を受けて3年、神学校に行って6年と書いてあった。
終了時俺、47歳。
悲しくなってWikipediaを閉じた。
出来ることからがんばろうと思った。
もしそんな風に過ごして47になったとき、どれだけ前髪が寂しくなっているだろうか。
そして嫁がその前髪を見ながら脳内に中国の禿山と、そこにかぶさるゴシック体のアルファベットのテロップ「MOTTAINAI」の映像を再生するのだろうか。
(※画像はイメージです)