泥団子の投げあい
土曜は親の四十九日で、そこで色々とあったのですが。
結局終わってみれば兄弟同士で「あいつらはアレをしてた」「あいつらはこんな罰当たりなことしてた」の揚げ足取り陰口合戦をしていたという情けない出来事があったという事実が発覚。
葬式終わってから怒りの感情がなぜか宿っていて、「ああ、何かもらったなあ」と感じていたのですが、そりゃあ親父が怒るわ。嫁の親が訝しがるわけだわ。
「合戦」と表現するあたり、自分たちもやっているわけです。本当に情けない。
しきたりというのは、守る守らないが全てではなくて、その現場においての人間性を量るためのものなんだなと肌で感じました。
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嫁は怨念だけに生きた、引きこもりの数年からどうやって立ち直ったか。
「人を攻撃対象にして生きることから抜け出せない人々に、延々とOKサインを出し続けるインターネット」
という言葉が頭に出てきて、たぶん嫁はそれをやってなかったから、だからあいつは・・・という答えが出つつあるんだ、なあ。
ちょっと真剣に店じまいを考えています。
こうやって活動をしていることがどうも、深刻に病んでいる身内の心証を悪化させているのではないかと考えるのです。そもそもこちら含むいろんなものに抱いた強い恨みを、乗り越えられずに強烈に精神を病んでいるとのこと。
「人を攻撃対象にして生きることから抜け出せない」生き方、もう変えられないだろうし。
それが正しいか、カットさんのような先人に真剣に相談をしようと思う。
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「割と自民党提唱型の言論統制賛成派」が、積極的賛成派にクラスチェンジ。
大衆の負のマグマの捨て場所として、積極的に利用し活用され続けるインターネットの現状、クソッタレだ。
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太宰府で買った「身代わりひょうたん」にひびが入っていた。