JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

誕生日でも仕事人講評「昔の女」

 昨日はラウンジサウンズと大耳(+仕事人だけどそれは録画)の日。かなり迷わされる選択を迫られました。結局、芸事の稽古だけは欠かしちゃまずいということで大耳へ。

 嫁に、何故行くんだ?と訊かれた。いや、自己鍛錬みたいなもんだから、と答えるよりほかはないんだけれど、嫁にはそれが徒労とか、自己満足とかに映っているんだろうか。ねじくれた撞着心で、小馬鹿にしているんだろうか。まあ結果論からいうと、嫁が正しいんだろう。

 そうであれば、楽しまなきゃいかんなあ。てなわけで昨日の大耳は最高にバカをやりました。いやあ、ありゃひどかった。自分が主に仕業人やら芸能通で見せてるような、ああいうバカテイストはあの場で出さないといけないね。お高くとまってる場合じゃないです。なんか大きな関門をひとつ突破した感があって、満足しながら帰宅。

 昨日は誕生日の前日で、12時を回る頃に帰宅しとかないと嫁が怒るだろうと思って急いで帰宅したところ、のんびり風呂に入っていた嫁。1分前に「明日誕生日なんだけど…」と切り出したら、「あ、忘れてた」…次に発した言葉は「その時計進んでるから」だった…。

 次回予告の段階で、こういう回にこそ直球で時代劇脚本で来なかったらどうだろうなあ、なんて思ってたのですが。
 ものの見事に直球ストレートでした。
 極力いつもの現代風刺を抑え、ここぞというときにテンションを下げた見事な回かと。

 細かな演出と伏線が結構見事で、何度か見直さないとわからないかもしれません。出会った時は「仕事」の格好だった涼次。あえて「今の」涼次である経師屋の服装で、おゆきを葬りたかったのだろうか。最後におゆきによそった時と同じ、大根の鍋をがっつくシーン。
 しかし殺し。そりゃあ市松(沖雅也)の「一筆啓上姦計が見えた」(※昔の女が的プロットが共通)ほどの幽玄なエロス+耽美なバイオレンスまでは昇華は出来ないけれど。運命に翻弄されるだけされて、それでも這い回った果てのドブ板の匂いが伝わってくるような。ああだから普段涼次、せめて世の中享楽的に生きてやらあなと腹くくって、芝居じみた言動してんじゃねえのかってスゲエ伝わってきた。
 出番が最近少なくて匳ともちょっとキャラかぶりでちょっとダメな子かも?と思ってた涼次ですが、いやあよかった。とりあえず彼はもう過去の必殺の殺し屋のエピゴーネン的存在にはならなくて済んだかも。

 二人の仲を探る匳のどことない青臭さが見え隠れしたのが、また面白い。匳はいきなり出てきたスーパーマン的キャラなので、そこかしこにそういう隙が出来ていくというのはいい。
 匳の殺し、ひょっとしたら瓢箪から駒かも。彼奴の殺しの笑み、小学校のときに感じた「仕事人には殺されたくねえ!!」って怖い感情が蘇るくらい背筋凍った。