最後(なのか?)に残った虫歯
鹿児島行くの、何年ぶりだろう?
週末休み全て使って出張に行くことになりました(明日から)。
もちろん休日返上であります。
地味な仕事で培った技量って、意外なとこで役に立ちますね。
まさに「地道にいこう・・・!」
気を付けて行ってきます。
おみやげは何がよかでしょうか。
そういやいつか飲んだ赤霧島が忘れられないのだけど、まあ入手は無理でしょう。
「お前、いつから歯医者通ってまだ終わらないのかよ!」
でおなじみの歯医者、現在佳境です。
中学高校の頃を知ってるマイミクが何人かいるのですがその人たちにはわかるでしょう、あの前歯でございます。虫歯菌を帯びて生えてくると出てくる、黄色く変色した部分を持った歯。
昔母親はこの歯について自分に「貧乏してたから、そのとき栄養が足りなくてそうなったんや」と説明していた。虫歯とは全く知らなかったわけですね。
小学校〜高校と、この歯についていろいろとからかわれたり、全くいい思い出はないのです。そりゃあ、フロントマン的な歯が味噌っ歯ですから、いい印象を与えるわけがないでしょう。そして高校3年の頃この歯について「黄色の部分を削って、白くしたほうがいい」というインフォームドコンセントを受けたことがあるんです。そのときはじめて、この歯が単純に虫歯であると知りました。
自分はなぜかそのとき、その歯を白くすることができませんでした。
慣れ親しんだその味噌っ歯がいきなり白くなって、普通の白い歯並びになることに恐怖を覚えたのでしょう。でも思えばそれは、フリークス的な部分への裏っ返しの自尊心がそこにあったんだなあと。あの頃の自分は、それを失うことに恐怖したんだなあと。
結局大学入ってすぐ治療しなおして、黄色部分を削って白くしたんですが、やっぱりそんな状況で何年も放置していたこの歯がすぐさま劇的に治るというわけではなく。
現在神経をさらに抜いて治療中。術後は痛みもあるのですが、その痛みはきっとその少年時代のひねくれたプライドを手放した痛みに違いないと思ったりせんでもない。
そういや、その高三の冬の、歯の治療の帰りにジャンプを買ったのを思い出した。ポルナレフとアレッシーが戦ってたなあ。ああ、ちょうど今頃の季節だ。