JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

お前に何がわかる

 ドッチファイル。
 官公庁で正式採用されてるこの便利なツールは、パンチ穴を開けた書類を左右どちらからでも綴じたり、外したりが可能というすばらしいファイルだ。名前のそのまんまさもまた、美しい。

 …さっきね、書類を外しながらふと頭の中に浮かんだ言葉が口に出た。
 「…どっちのファイルショー…」

 残念ながら何が面白いのかさっぱりわからなかった。
 新年早々残業中。いかん、靄かかってきた。いかんいかん、正月ボケだ。

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=139882&media_id=2

 「お前に何がわかる」っていう感情から生まれるパワーはすげーでかいと思う。
 内的世界の相互不理解を力でねじ伏せて説き伏せるためには、それはもう膨大なエネルギーが必要だ。そしてそれはあたかも殺し合いにも似たものを感じる。

 妹は劇団員だったそうだ。
 ただし、いくつか散見された情報から察するには新進気鋭的な存在というわけではなく、「夢に向かって走ってる」などと突っ張って勢いを生まなければ取り残される世界に身をおいていたのだろう。現実で生きるためには、夢が必要な世界なのだ。

 受験戦争であぶれるというのは地獄だ。
 おおよそ実社会から取り残され、その知識が果たしてその関門を潜り抜けた後に役に立つかどうかもわからない「テストのための知識」を詰め込まされる。しかも、その関門を潜り抜けたとしてもそこから先、続くレールの上を走れる保証なんてない。しかも、年齢から考えて後戻りは一切ききそうにないのだ。
 彼のような同級生はたくさんいた。
 高校卒業して再会したそんな身分の彼らはみんな「夢を夢と思わない」ような、そんな人々だった。生きるために、彼らは夢を捨ててしまっていた。いや、その必要があったのだと思うよ。

 そんな二人が自己の正当性のためにぶつかり合ったんだろうな、そんな気がする。どっちもどっちだし、悲しい話だ。

 自分も相互不理解で相当病んで、荒れた時期がある。
 相手は親だったけれどね。大学を職業訓練校とでも思ってる両親、結局何がしたいかわからなかった自分…いや、いまだに不理解のまま。でもいいじゃない。

 「お前に何がわかる」って聞かれたら「わかりません」って答えしか返ってこない。でも、それを受け入れるまでどれだけ、時間がかかっただろうか。その間に、こんな事件にならなくてよかったと心から思う。