JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

軽く言ってくれるじゃんか

 この一ヶ月でいっぱいになった、もやっとした気持ちをようやく言葉にまとめられそうな気がする。

 「いじめで自殺するやつなんて、とっとと死ねばいいやんw」
 こんな文章をいくつ見たかなあ。


 1/9のオファーで対バンするという東京の大物ミュージシャンの名前を聞いて、実は自分ははっとした。
 もう、その頃からネットで日記を書いているからその跡を辿ることが出来る。

http://www3.coara.or.jp/~azy/2002_2nikki.html(2/11)
http://www3.coara.or.jp/~azy/2003_3nikki.html(3/16)
http://www3.coara.or.jp/~azy/2004_3nikki.html(3/16)

 昔、芝居始める前のバンドだから『シンセパワー』のときだ。対バンしていたミュージシャンに、ソフトバレエを愛する一人テクノロック、という男がいた。ステージにオブジェを置いたり、黒いタイツのような衣装で登場したりと非常に意欲的な男だったのだが、彼は致命的にボーカルが下手な人だった。
 だが、常に意欲は前のめり。実は自分は4年前にもネットラジオ不定期でやっていたのだが、そこで掛けてくれと音源を貰ったこともあった。やっぱり下手で、とてもかけられるものじゃなかった記憶がある。

 しかしそのあふれる意欲と野心は、奇跡を生む。
 どういう経緯かは知らないが、東京で活躍するミュージシャンに呼ばれ、彼は東京でライブすることが決定したのだ!

 俺は彼が嫌いだ。
 だが、その結果には、ただ敬意を表したかった。
 けれどもそのライブは果たされることなく終わった。


 東京ライブの話なんかを日記で書いているものかと思い、半年くらいたって覗いた彼のホームページには、友人からの書き込みで彼の、3ヶ月前の訃報が記されていた。
 彼の個人ページの最後に近い日記には病んだようなことが綴られ、その後帰郷。その直後に事故で亡くなったという話だった。
 亡くなったのは、予定されていたライブの一ヶ月前。
 ライブは果たせなかったのだ。

 この死は、忘れようにも忘れられない。
 初めて自分のほど近くで起こった「報われない死」だったから。
 今度、そのミュージシャンに尋ねてみたいと思う。
 もし彼のことをそのミュージシャンが覚えてくれていたら、少しは報われていたのかな、と思う。


 つい先日、全く同じように起こったキヨシさんのあっけなく、残酷としか思えないタイミングで迎えた死。
 死は望もうが望むまいが、結果はただ残酷。
 簡単に人に死ねというやつにも平等に、残酷に降りかかる。
 もちろん、自分にもいつか、だ。

 だから死ねだのと、口が裂けても軽くなんて言えない。それでももし言えるというのならば、自分にはこの二の句しか言えない。きっと身近の死を経験して、わかるときが来る。

 それだのに「弱いやつは死ね」と平気で煽るいい大人たちを幾人も見るにつけ、あの彼の死に心を痛めている自分のほうが間違ってるのか?と思うと、なんだか挫けそうになります。



 余談
 彼のホームページは4年経った今も、現存している。
 掲示板には彼の友人からの書き込みが絶えていなかったが、コメントスパム爆撃によって使用不可能状態に陥っている。
 本当に、コメントスパムなど人間の屑の所業だ。