JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

好きなことをやるってなんだろうな

 他人に何と言われようとココロのもつ限り、やれることしかやらないように必死につとめている自分にとって
 「好きなことをやってていいですね」
 って言葉はナイフのようにぐっさりと来る言葉の凶器だ。そりゃあ自分ももし心がもつのであれば好きでもないことでお金を稼いだりしたいと思う。あたしゃ品性が卑しいのでおそらく本気を出してれば立身出世を図り、人を泣かし人を出し抜き汚い真似を平気でするだろう。しかも、世の中に貢献する気なんてこれっぽっちも見せずに。自分が青雲を出て、自分の姿を改めて再認識したときに見た化け物がそんな姿だったのです。

 どうにか、好きではないが自分が世の中に貢献出来うる最善の一手としての、表現活動は続けられていることに感謝している。だが。

 旧友が、親友を失った話を聞かせてくれた。
 その旧友の親友が、ともに働いていた会社を「好きなことをやるために」と失踪に近い形で逃亡。何とか彼の復職、もしくは手続きのために尽力したにもかかわらず絶交、陰口、中傷…の泥沼で疲れ果てたという話。旧友は彼の抜けた穴を埋めるべく数倍働き、重篤になったという肉親の看病をしている。旧友には好きなことに時間を割く余裕なんてこれから、少なくなるだろう。

 羨ましいな。
 まず今、好きなことを思う存分やっているであろう彼。

 表現活動というのは悲しいことに他人には「好きなことをやりたい」と思ってる人がやるものだと勘違いされているのです。
 自分にとって、こんな正気の沙汰じゃないことは好きなわきゃあないですよ。まあもっとも、あたしゃ正気じゃないからこんなことやってるんだけどね。
 そして、こちら側でしか知りえないような地獄も味わった。それでも何とか生き延びているのです。そう、こっちは地獄なのですよ。

 そして本当に羨ましいのは、こちら側の地獄を垣間見なかった、その旧友がいちばん。