おれと博多と醤油ラーメンと
昭和末から平成の頭にかけて福岡市都市圏に生まれたものなら体感していること、それは
「街のラーメン屋はほぼ豚骨しか出さない」
という確固たる事実だろう。そして数少ない醤油ラーメン屋がことごとく
「あんなんはラーメンじゃなかバイ」
と地獄のレッテルを貼られていた事実。ネットも無い時代のことで、そんな空気なんぞ知らんと訝しがる方もいるかもしれないが、現に中華そば系の老舗で昭和からの生き残りの店はどれくらいあるだろう?
中華そば系の老舗と言えば樋井川の「永楽」、寺塚の「郷家」、大野城→太宰府の「萬友」、那珂川の「ひさご」なんかが出てくるが、永楽を除けばほとんど創業は平成頭であるし、豚骨ラーメンの老舗になれば昭和からの生き残りなんて綺羅星のごとくあり、数は圧倒的に勝ってしまう。
福岡の醤油ラーメンは甘い。
そもそも九州の醤油は甘いと言われる。全国的には「野田の醤油」の味がハイ・スタンダードであるが、どういう訳だか九州人の自分の舌からするとあれらは塩水に感じる。
そんな九州人が持つ醤油の甘味への拘りが売り上げにも反映するのか、不思議と中華そば屋は「甘いほうに進化する店」をたくさん見る。
この醤油ラーメン不毛の地福岡において、中華そば屋は潰れる数も本当に多く、そのスピードも早い。その大抵の店では明らかに「どこかよその醤油の味」なラーメンのことが多い。甘いと言われる理由はそんな単純な消費者による淘汰の結果だろう。だから、そろそろ我々福岡人はこの味の進化を文化とする時期に到達していると(※勝手に個人的に)思っている。
ちぢれ麺中華そばに「麺堅め」「替え玉」なんていう無粋な客にもにこやかに対応しなきゃいけないワイルドな店だけが生き残る。福岡人は常にバーバリアンなのである。
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そんな街で俺は中華そばの店をわざわざ探して食べ歩く奇矯なことを、かれこれ十数年やっている。
最初は現場仕事で福岡の町中を歩かされたから、とか色々思い当たる節があるのだが、わざわざいわゆる「非豚骨」に決定づけたのはちゃんと切実な理由があって。
前嫁が病気になったのがきっかけである。
今思うとどうだったんだろう、効果とかあったのかなとも思わないでもないのだが。「食餌療法」を盲信した当時我々夫婦は「豚」を禁止メニューにした。
ラーメン食べ歩きを頻繁に行っていた夫婦にとってなかなかどうして辛い決断であったことを覚えている。
今考えたら「チャーシューは大丈夫なんか?」「出汁はブタから取ってたらどうする?」とかツッコミどころは結構あって。まあ、最近とみにその成否が微妙になってきた「免疫療法」というやつのくくりでやっていたことだ。そしてこのコロナ禍でも皆身に染みたと思うが、死病の前に人間は正常な判断が出来なくなるものである。
さてこの「非豚骨ラーメン家探し」、自分が先にネットで調べたり実際に食べに行って嫁に紹介するスタイルが5年近く続いた。
特に「へののブログ」には大変お世話になった。
野間の「行徳家」、大野城の「壱屋」、大橋の「あすか」など、今は無くなったけれどたいそう忘れられないくらい美味しい店もあった。
結局一番食べに行ったのは那珂川の「ひさご」で、ここは嫁が病気になる前から何度も通っていたし、結果彼女が最後に食べたラーメンにもなった。
その時の写真、撮っておけばよかったかな。
本当にあの店には感謝してもしきれない。
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今日はその前嫁の命日。
今でも自分はこの街で中華そばを食べ歩いている。
久しぶりにKOMUGIに。 pic.twitter.com/GATYnfxzOa
— ニシジマオ (@NishiJimao) January 23, 2021
それはきっと素敵な彼女の忘れ形見なのよ、と思えばロマンチックなのだが、生憎色々縁があり新しい嫁がいる身なんである。
今の嫁には歳を取ってしまって豚骨ラーメンが辛くなっただけ、とこれからも強がることにしよう。