JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

前妻どんちゃんの追憶

 スマホに届くニュース速報を見てたまげてしまった。ピエール瀧、逮捕。電気グルーヴも30周年、また新しいくだらないこと始めたか、と少しの間検索をかけていたが、どうも本当のようだった。
 次の朝ワイドショーを見たら、ニュースのトップを飾り。過去の映像、ライブ映像などがバンバンと流れ続け。時の犯罪者と成り果てていたピエール瀧

 その電気グルーヴの結成された30年からちょっとすぎたあたりで、前妻のどんちゃんとは出会った。最初にゲームの話で意気投合したが、
 「こんな面白いCDあるよ」
 といわれて借りたのが3枚目のアルバム「KARATEKA」だった。
 早速当時KBCラジオの替え歌コーナー(自分で録音して送るという素人参加型コーナーだった)に電気の替え歌を作って送ったら18週もランクインしてしまった。割と恥ずかしい過去だが、友人から「こないだ職人風の男がそれ歌ってトイレ入って行った」と報告があったから業が深い。93年の出来事だから26年前だ。ペンネームは半分どんちゃんがつけた。
 交際は順調に続いた。CDを買ったら二人で聴いた。書籍を出したら買った。福岡にツアー来たら見に行った。思い出はいくつもある。結婚までは時間がかかったけれど、二人で一番好きなCDを選ぶとしたらそろって「ドリルキングアンソロジーかな」と答えるくらい。
 日常会話では、瀧と卓球のラジオで不意に出た方言からの引用が飛び交う夫婦だった。「てめえぶっ殺すぞ!」「でも殺さないんだけどね」(電気GROOVEのUP'sより)なんてやり取りはずっとやってたな。ピエール瀧の体操シリーズっぽいロケーションやシチュエーションに遭遇すると、必ずモノマネを二人でした記憶がある。

 どんちゃんは病気になった。
 家計は苦しくなり、おいそれとCDなんかを買う余裕が無くなった。何とか「20」までは買えたが、そこから先は二人の最低限買えるものまでになり、電気のCDまでの余裕も奪っていった。もちろんライブチケットなんて高騰したから、ドラムロゴスで「シャングリラ」をライブ初披露した日のチケット代が2500円だったか。あの頃には6000円近く。
 二人で笑った。楽しんだ。本来ならありがとうというべきだろう。だけれど。

 彼女はとても禁欲的で、頑固なところがあり、至って遵法精神にあふれた子だった。
 椎名林檎が気に入って、何軒もCD屋を探して買って毎日のように聞いていたのに。
 彼女が一度スキャンダルを起こしただけでCDを売り、まるでそんな人、いた?というような風になったことをふと思い出している。
 またスキャンダルを起こした芸能人や、彼女が敬愛するお笑いの世界についても同様だった。
 彼女が生きていたら、どう思っただろう?
 死んで、もう2年がたつ。
 末期がんの終末治療モルヒネを打たれすぎて、面会に行くたびにいつも意識朦朧で
 「私ね、どんどんバカになっていく気がする」
 そんな彼女は最期の前の日に
 「昨日、死ぬかもしれないとおもったんだ・・・」
 しゃべるのもおぼつかない声で、自分にそばにいて欲しいと願った日に、彼女の気持ちに応えて病室で一緒で寝泊りをしたその日に、彼女は亡くなった。
 医療大麻の快楽を拒むように。意識があるうちにどうしても言いたかったのだろう、最期に大きく目を見開いて
 「今まで本当にありがとう」
 と彼女は絶叫した。

 時は流れニュースでは瀧の罪状がずっと流れている。
 俺たちを楽しませていたものが脱法のクスリの快楽の成果品だったというなら、それはあの彼女の最期への、そして紡いで来た短い人生への大きな冒涜だろう。
 友人たちは「番組中止は行き過ぎだよ」「CD回収なんてひどすぎやしないか」、果ては「薬物に対して日本は寛容になるべき」まで。まあ様々だ。
 本当に俺みたいな特殊な例なんていないとは思う。そんな特殊な例な自分は今の流れはすべて是と思っている。彼女がもし亡くなっていなかったらきっと怒り狂っていただろう。そして、「ピエール瀧、本名瀧正則容疑者」で爆笑してたと思うし、片っ端から録画もすると思うし、過去の瀧の映像を引っ張り出して鑑賞しては
 「でもコカインやってるんだよ~!」
 とゲラゲラ笑っていただろう。ゴミを見る目で。
 あの子はそんな子だった。
 
 悲しいを通り越して憤りが立つ。

 優しい前妻だった。
 新しい妻の夢枕に立った彼女は泣き笑いの表情で「こんなとこに来てくれてありがとう」と言ったという。
 ただひとつの救いは、彼女の死後に瀧が逮捕されたという事実だ。続報では、ずっと空白期間は多少あるものの断続的に常習していたということで、そんなことを知らずにきれいな瀧さんのまんま彼女は亡くなったのだ。遺品になったCDは、捨てないで置こう。いつもどおり盛大にかけてやろう。まるでそんなことなんて無かったかのごとく。ぼくらの電気グルーヴは20周年で止まっているが、もうそこで留めていいのだ。彼女の墓標がそこに立てられて、それでいいのだ。